TOP8昇格を決めた2週間後、最終節の国士舘大学戦には勝てなかった。
BIG8優勝をすでに決めていた東大にとっては、ある意味では消化試合であり、ウォリアーズの4年生の中には、どこか弛緩した空気をまとう者もいた。
部内の温度差を感じる者もいた。TOP8昇格という当面の目標を達成できた安堵感は大きなものだった。いささか緩んだ空気の中で、日本一という未来の目標を見据え、国士舘戦もその大事なプロセスだと気を引き締める者もいた。4年生の学生トレーナー川西絢子は必死だった。理由はあった。
昇格を決めた桜美林大学戦では、さまざまな感情が入り乱れた。試合後、部員全員で応援スタンドの前に整列し、主将の楊暁達が絶叫しながら感謝の気持ちを伝えた時の感動は、いつまでも忘れないだろう。ヘッドトレーナーの西田成美、ニュートリション担当の田中初紀、さらには同期の学生トレーナーで川西が精神的に支えられていた岡田潤や、首の怪我で選手としての活動を断念し、学生トレーナーに転向していた同じ4年生の永野麟太郎と、笑顔で、泣き顔で、喜びを分かち合った。
それでも、担当していた4年生のランニングバック荒井優志が、桜美林戦で重傷を負ったとわかってからの悔しさは、試合後も拭いがたく残ったままだった。荒井はランニングバックの柱であり、捻挫した足首に不安を抱えていたとはいえ、あの大一番には不可欠の戦力だった。だからこそ、川西はトレーナーとして、もっと何かできたのではないかと煩悶せずにはいられなかった。桜美林戦後の診断で、荒井は膝の前十字靱帯を断裂しているのが判明していた。
<私、神様に、試されている>
川西がウォリアーズへの入部を決めた時、ふいに浮かんできたのが「隣人を自分のように愛しなさい」という聖書の一節だ。
隣人を自分のように――。川西にとっては「選手とどれだけ緻密に」向き合えるか。
国士舘戦までの2週間で回復させなければならない選手は、4年生のワイドレシーバー瀬戸裕介だ。リバースというトリックプレーから逆転のタッチダウンを決めた桜美林戦で臀部の筋肉を痛め、国士舘戦の出場が危ぶまれていた。
<瀬戸が最後の試合に間に合わなかったら、一生後悔することになる>
川西は国士舘大に勝ちたかった。目指しているのは日本一なのだ。荒井と並ぶ攻撃陣のエースである瀬戸を、その試合に間に合わせなければならない。
2週間のうち1週目は歩くのがやっとで、リハビリすらできなかった。あれ? と川西がひらめいたのは、負傷した瞬間の映像を繰り返し見ていた時だ。痛みが出ているのは臀部だが、根本的な不具合は足にあるのではないか――。
当たりだった。
瀬戸という選手がどんな怪我をしてきたか、その影響で身体にどんな歪みが生じているか、このワイドレシーバーを担当してきた川西はよく知っていた。一朝一夕の付け焼き刃では、本人すら気づかない痛みの因果に、辿り着けていなかったに違いない。
瀬戸は試合2日前に走れるようになり、国士舘戦に間に合った。最終チェックで瀬戸の状態を確認したコンディショニングアドバイザーの楢原星一に、こう言われた。
「川西の判断、正しかったよ」
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桜美林大との大一番を乗り切ってから、やや気が抜けたようになっていた4年生たちのテンションは、最終節を前にしてふたたび高まりかけていた。まだ公式戦に出場していない同期が、国士舘戦に出場できるかもしれない。TOP8昇格を東大はすでに決めていたので、そうなる可能性は十分あった。同期のためにという思いをテコのようにして、最後の力を振り絞ろうとする者もいた。
最後の年の公式戦にまだ出場していない4年生のひとりが、ディフェンスラインの松井健だ。怪我さえなければ、秋の出番はいくらでもあっただろう。しかし、夏に重傷を負い、たとえ間に合ったとしても、最終節の国士舘戦だけだろうと診断されていた。
<松井をなんとか出してあげたい>
そう願ってやまないひとりが、主務の照真帆だった。2018年の4年生はよくまとまっていた。皆で支え合い、いくつもの試練を乗り越えてきた。なかでも松井に救われた同期は、たくさんいるはずだ。
大きな怪我をして、自分がつらいはずなのに、松井はいつも笑っていた。戦線離脱中も練習に参加して、同期を励まし、後輩たちを熱心に指導していた。そういう松井の姿を目の当たりにして、自分に今、何ができるか、自問自答したのは照だけではなかっただろう。
意に反して戦線離脱を強いられるつらさは、照自身が味わっていた。4年の春は体調不良に陥り、半強制的に1カ月半ほど部活を休まなければならなかった。9月には公式戦の前日練習で、験を担ぎたいと登った脚立が強風で倒れ、落下した照は頭を打ち、初戦の東海大学戦は試合会場にすら行けなかった。
離脱している間は、申し訳なくもあり、主務の自分が不在であろうと部活は成り立っているという事実に半ば打ちのめされていた。
<松井だって、本当は苦しんでいるはずだよね。それなのに……>
怪我をした箇所の手術を受けるために入院していた病院でも、見舞いに来てくれた同期を気遣い、松井は努めて明るく振る舞っていた。自分のことより、仲間のためにという松井の思いが、照には痛いほど伝わってきた。
迎えた国士舘戦の当日、松井はユニフォームを着用していた。医師の見立て通り、最終節には間に合ったのだ。ユニフォーム姿の松井に、軽い調子で檄を飛ばしたのは、監督の三沢英生だった。
「お前、今日、出るかもしれないな。出たら、一発かましてこいよ」
まさかその試合に負けるとは、三沢はみじんも思っていなかった。先発出場するのは1本目と呼ばれるレギュラー組であり、うまくいけばハーフタイムまでに勝負を決められるだろう。そうなれば2本目、3本目の控え選手たちを、少しでもフィールドに立たせてやりたい。ヘッドコーチの森清之とも、その話はしていた。森も同じ意見だった。
※文中敬称略。