2018年11月18日の桜美林大学戦は、文字通りの大一番となる。どちらも5戦全勝でこの日を迎え、東大は勝てば優勝が決まる。負けたとしても、最終節の結果次第で、他力本願にはなるが、逆転優勝もありえる。
総合力では、ほぼ五分と五分――。ヘッドコーチの森清之は、そう見立てていた。選手の能力では若干下回っているだろうが、勝てるチャンスは十分ある。持てる力を発揮できるか、できないか。いずれにしても紙一重のところで、明暗が分かれるだろう。
先制したのは東大だった。この試合最初の攻撃で自陣39ヤード地点から少しずつ前進すると、最後は3年生のクオーターバック伊藤宏一郎が残り5ヤード地点から守備の裂け目を突いて、自らエンドゾーンに飛び込んだ。
しかし、桜美林も一歩も譲らない。最初の攻撃でタッチダウンを奪い返すと、トライフォーポイントのキックも決めて、キックを外していた東大は6-7と逆転される。
サイドラインから戦況を見守る監督の三沢英生は、到底落ち着いてなどいられない様子で、頬を紅潮させ、目尻はつり上がり、どこか鬼面のような表情で、鋭い眼光をフィールドに突き刺している。手術した心臓の予後は良かったが、この日は試合が終わるまで、気が休まらないままだった。心臓がキュッと縮むような思いを、何度もしなければならなかったのだ。
第2クオーターもスコアは動く。自陣30ヤード地点からじわりじわりと前進した東大が敵陣19ヤードからフィールドゴールを決め、9-7としたものの、それはつかの間の逆転にすぎなかった。直後のキックオフリターンで、敵陣深くから、桜美林の選手にあれよあれよという間に92ヤードを走られる。このタッチダウンでスコアは9-14となり、東大は瞬く間に試合を引っくり返された。
値千金のプレーが飛び出したのは、東大のキックオフで試合が再開された後半開始早々だった。東大はキックオフで、敵陣に向けてスクイブと呼ばれるグラウンダーのキックを蹴り出した。ゴロのボールは二度バウンドして高く跳ね上がり、スリーバウンド目で桜美林の選手がキャッチする。
落下してくるボールを難なくキャッチした桜美林のその選手は、すうっと前方に走り出し、サイドライン付近を慎重に加速していく。東大の選手ももちろん反応しているが、ボールを持った桜美林の選手の前進は味方の防御によって守られているので、タックルどころか、近寄ることすらできない。
桜美林陣内の28ヤード付近から始まったゲインは、あっと言う間に自陣と敵陣を挟む50ヤードラインを超えて、ボールを持った桜美林の選手は東大陣内を進んでいく。前方に東大の守備者が見えてくると、桜美林の走者は左右にステップを踏み、守備者のバランスを崩すと、そのまま抜き去る。タッチダウンまで残り30ヤードを切り、残り20ヤード、残り10ヤードと、距離を伸ばしていく。
東大の応援席から悲鳴のような声が響き渡る中、そのロングゲインをかろうじて止めたのが、逆サイドからフィールドを斜めに横切るようにして戻った藤岡伸輔だった。快走していた桜美林の選手を、残り3ヤード地点で、サイドラインの外に押し出したのだ。
東大は直後の守りで、ディフェンスの選手がまさしく身を挺する。3ヤード地点から再開された桜美林の攻撃を3つ続けて食い止め、タッチダウンを許さない。
残りわずか1ヤードで4thダウンを迎えた桜美林は、決まれば3点を追加してリードを8点に広げられるフィールドゴールは狙わず、勝負に出てタッチダウンを取りにいく。しかし、この4thダウンギャンブルは失敗に終わる。東大のディフェンスが懸命に人の壁を作り、エンドゾーンへの侵入を水際でなんとか阻止してみせたのだ。
ヘッドコーチとして百戦錬磨の森も、桜美林のロングゲインからのタッチダウンを寸前で阻止した、藤岡のプレーには舌を巻いていた。
<これは何年に1回、出るか、出ないか、そういうプレーだ>
逆サイドからのこうしたディフェンスは、そもそも決まる可能性が低いので、藤岡のように戻っていなくても、誰からも文句は言われない。どれだけ全力で戻っても、追いつけない可能性のほうがはるかに高く、たとえ追いついたとしても、藤岡のように阻止できるとは限らない。
<途中で少しでも諦めていたら、絶対に追いついていなかった>
万にひとつの可能性を信じて、自分にできる最善を尽くしていたからこそ、追いつき、阻止できたのだ。森の心のつぶやきはこう続く。
<これは、たまたま、などではない>
万にひとつのプレーなど、いつできるか、誰にもわかるはずがない。日の目を見ないままでもおかしくないプレーが、これだけ大事な試合でできたのは、それを愚直に、普段の練習から積み重ねてきたからだ。
多少はサボっていても、大勢に影響を及ぼさないプレーは、アメフトにもある。黙っていれば、観客の誰ひとり気づかないような、手抜きもできる。
<しかし、サボりや手抜きを常習のようにしていたら、万にひとつの決定的なプレーなどできっこない>
3年生の藤岡は、それまでほとんど試合に出ておらず、キッキングで少しだけ登場する選手だった。そういう選手のこの活躍は、ウォリアーズが成長している証といえた。
しかし、本当に強いチームには、藤岡が体現してみせた万にひとつのプレーを、当たり前のようにできるカルチャーが浸透している。
<東大には、なんだ、逆サイドか、と力を緩めてしまう部員のほうが、まだまだ多い>
それが森の偽らざる、客観的な評価だった。
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桜美林戦の舞台は、サッカーJリーグのFC東京が本拠地としている味の素スタジアム(東京都調布市)に隣接したアミノバイタルフィールドだ。この年の東大の試合会場は、第2節の駒澤大学戦に富士通スタジアム川崎で臨んだ以外はすべて、もともとアメフト仕様になっているアミノバイタルフィールドだった。観衆は第1節の442人から、第3節が579人、第4節が630人、第5節の横国大戦で1220人まで増え、桜美林戦では1400人を超えていた。
アミノバイタルフィールドのスタンドは、東側と西側に分かれている。この日は東側が東大の応援席に割り振られていた。
加藤政徳は東大側の応援席から、桜美林戦を見守っていた。
いや、見守っていられる余裕はなく、手に汗を握り、固唾を呑みながら、念じていた。
なんとかして、この子たちを――。
加藤はひたすら念じていた。
この子たちを、勝たせてやりたい――。
※文中敬称略。