オフェンスラインのセンターを定位置としている主将の楊暁達は、学生スタッフの平賀慎之介がコーディネーターを務める良さを肌で感じるようになっていた。
「平日の練習終わりに、その場で目を合わせながら、問題を明確にできるようになりました。試合で使おうとしている作戦が、ここまではできるようになった、明日はこうしてみようと、日々、具体的な話ができるわけです」
コーディネーターは、森清之の言葉を借りれば指揮官だ。フィールド上でプレーする選手たちは、指揮官の決定に従わなければならない。
「コーディネーターが常駐していると、そのシチュエーションでその作戦を使う意図であったり、狙っていた展開からずれた場合にどうすべきかであったり、毎日、その場で共有していけます」(楊)
そうしたすり合わせを日々蓄積できるメリットは、学生の平賀が学びながら、成長しながらコーディネーターを務めるハンデを、はるかに上回るものだった。
<やっぱり万海さんに、頼りすぎていたんだな>
楊は申し訳なさを感じていた。2018年の春までオフェンスコーディネーターだった社会人コーチの高木万海が、あれだけ尽力してくれていたのに、俺たちはどれだけ応えることができていたのだろうか――。
「万海さんはよく、こうおっしゃっていたんです。4年はどんどん、こうしたいという要望を伝えてほしい、と」
しかし、結局は任せきりになっていた。高木は翌週の課題を4年生に伝え、下級生には4年生から伝える。
「やっぱり薄まって、伝わっていたのだと思います」
楊はこの2018年の春から夏にかけて、下級生たちの成長をひしひしと感じていた。コーディネーターの常駐は、想像以上の波及効果を及ぼしているようだった。
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平日の練習にも参加できる学生が、コーディネーターを務めるメリットは、そのままヘッドコーチにも当てはまる。
「フルタイムのコーチは、軌道修正できる回数が、パートタイムのコーチと比べて圧倒的に多いですから」
そう証言するのは、勤めている商社から海外赴任を命じられ、平賀にオフェンスコーディネーターを引き継いだ高木万海だ。
「週末だけのサンデーコーチと比べると、フルタイムのコーチには時間が1週間ありますから、PDCAサイクルを回せる回数がそれだけ多くなるわけです」
サンデーコーチの難しさを、高木はよく知っている。
「平日にコーディネーターが不在だと、週末から週末までの1週間のどこかで、歯車が狂っているわけです。そのメンテナンスだけで、かなりの時間を要します」
映像分析・共有ツールのHudl(ハドル)や、チャットアプリのSlack(スラック)をいくら駆使したところで、オンラインでできるのは紙の上の話にすぎず、悪くすると机上の空論にも陥りかねない。結局、みんなで実際に動いてみて、フェイストゥフェイスのコミュニケーションを図りながら、オンタイムで調整していくプロセスは省けない。
PDCAを回す回数が少ないと、どれだけいい作戦(Plan)を立てようと、それを実際に試せる(Do)回数も、評価できる(Check)回数も少なく、不具合を改善できる(Act)回数も少ないままだ。1年間の蓄積で、完成度や精度に大きな差が出てきても、不思議はない。
ただし、フルタイムにはフルタイムの怖さもある。指導が的確でなければ、逆効果にもなりかねないからだ。高木はその話を次のように続ける。
「フルタイムのヘッドコーチだから、良かったわけではありません。森さんを招聘できたから、ものすごく良かったんです。ウォリアーズが明らかにいい方向に進んでいるのは、フルタイムのヘッドコーチが森さんだからです」
サンデーコーチにも、サンデーコーチならではの良さがある。時間を置いてチームに接する分だけ、より客観的になれるのがそのひとつだ。
「物事は一長一短だと思います。でも――」
淡々とした口調で、高木は付け加える。
「森さんは毎日いるのに、客観的ですからね。どんなメンテナンスであっても、間違いがないですし」
高木がウォリアーズの選手だったのは、2008年から2011年までの4年間だ。5年生になった2012年は新入部員の1年生にアメフトを基礎から教える新人コーチを務め、三菱商事に就職した2013年は社会人のIBMビッグブルーで1シーズンだけプレーした。
2014年に社会人コーチとしてウォリアーズに戻ってからは、1年目はディフェンシブバックのコーチを、2年目と3年目はディフェンスコーディネーターを、4年目の2017年はオフェンスコーディネーターを務めてきた。
コーディネーターになってからは、それまで以上の覚悟が必要だった。春までの準備期間は、秋に対戦する大学の過去の試合を分析し、学生たちにフィードバックして、戦略や作戦を練ったり、目標を立てたりする。春になればオープン戦が始まり、夏合宿にも顔を出し、秋の公式戦が始まれば、睡眠時間を削ってでも、週末はアメフトに明け暮れた。
シーズンを終えると、毎年、こう思う。
<ここでいったん、お休みしようかな……>
ところが、少し時間が過ぎると、やっぱりコーチを続けたいと思い直す。高木にそうさせるのは、学生時代の自分を育ててくれたウォリアーズに、恩返しをしたいという気持ちだけではなかった。
「私自身、学べることのほうが、教えることよりも実ははるかに大きくて」
高木の話はこう続く。アメフトのコーディネーターは、企業で言えば50人規模の組織を率いるリーダーに他ならない。組織をひとつに束ねて、同じ方向へ進んでいくには、リーダーの振る舞い方や言葉の選択も物を言う。そういう経験を、社会人2年目、3年目でできるのは、ものすごくありがたい。何よりも学生と一緒に戦い、勝利を収めた瞬間の喜びは格別だ。それはそれとして、崇高なボランテイア精神だけで、週末ごとの時間を捧げてきたわけではない。高木は自分自身が貪欲に学ぶためにも、社会人コーチを続けてきたということだ。
2008年の東大入学から2018年夏の海外赴任まで、ウォリアーズにほぼ関わりつづけてきた高木は、三沢英生と森が二人三脚を組んでいる現体制も、それ以前の指導体制も知っている。
「ガラリと変わったと言う人もいます。でも、私の中には、積み上げてきた歴史、なんだという思いがあって……」
「1年だけでうまく二歩、三歩進めた年もあったでしょうし、半歩しか進めなかった年も、逆に後退してしまった年もあるかもしれません。でも――」
ウォリアーズに関わり続けてきた者ならではの、偽らざる思いを、高木は口にする。
「後退した、その年もあったから、ウォリアーズの歴史は続いてきたのだと思います」
※文中敬称略。肩書きは当時のもの。