アメリカンフットボールのチーム練習には“進行台本”がある。目を通せば、その日に練習する作戦を、一通り確認できる。進行台本にしたがって、実際にみんなで動いてみて、タイミングや距離感を合わせ、プレーの精度を上げていく。
「僕らはその台本を、スクリプトと呼んでいます」
そう話すヘッドコーチの森清之は、2人のコーディネーターに攻守それぞれのスクリプト作りを任せている。
「コーディネーターはゲームプランを立てて、実際の試合を想定しながら、日々の練習のスクリプトを作ります」
攻撃では対戦相手をいかにだまして、前進し、得点するか。各自が動く方向やタイミングを確かめながら、連動性を上げていく。守備では対戦相手の出方をいくつか予想し、予想が的中した時の守り方を叩き込んでおく。予想が外れた場合も、相手に長い距離を前進されるロングゲインや、そのままタッチダウンを許すといった惨事を招かぬよう、どう対応すべきか、あらかじめ備えておく。2人のコーディネーターはその日の練習の成果も踏まえて、次の日のスクリプトを作らなければならない。スクリプトは毎日変わる。
「そうやって、コーディネーターが中心となって日々の練習を進めていき、試合当日に作戦をコールするところまで責任を持ってやる。僕はそれが大事だと思うんです」(森)
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スチューデントアシスタントの有馬真人が、ディフェンスコーディネーターに指名されたのは2017年。彼が3年生になる時だった。2年生まではオフェンスを担当していたので、ディフェンスについては一から教わらなければならなかったが、ほぼ二つ返事で引き受けた。新たに森がヘッドコーチに就任することを、すでに知っていたからだ。有馬は大船に乗った気持ちになっていた。
<まあ最悪、森さんに聞けば全部わかるでしょ。あの森さんなんだから>
実際に1年目は、森の教えをただひたすら吸収していった。必死になって食らいつきながら、アメフトを広く、深く、熟知しているヘッドコーチの下で、新しいディフェンスを一から作り上げていく1年は楽しく、充実したものになる。
その一方で、同期の誰とも分かち合えない、難しさもあった。大学のアメフトは4年生が中心となる。にもかかわらず、ディフェンスの作戦は、3年の有馬が責任者となって決めなければならなかった。
<やっぱり先輩方、よく辛抱してくれたよな。本当に感謝するしかない>
ディフェンス陣を引っ張った副将の勝浩介と鎌形勇輝、それに岡崎恭直といった4年生は、有馬のやりたいようにやらせてくれた。
新体制1年目の2017年は、チームの全員が目の前にあることをがむしゃらにやるしかなく、有馬もその例外ではなかった。それでもコーディネーターとしての最初の1年を終える頃、有馬は変化を感じるようになっていた。それは彼自身の変化であり、チーム全体の変化でもあった。
<同じ作戦でも、きちんと理解して使えば、こんなに違うものなのか>
森がヘッドコーチに就任するまでは、もともとあった守備のパッケージを、そこまで深く考えずに使っていた。綻びが生じやすかったのは、もしかすると形式をなぞるだけの守備になっていたからかもしれない。ところが、なぜ、そういう形式になっているか、すなわちメカニズムの本質を練習の段階から突き詰めて、その理解をチーム全体で共有しておくと、同じ作戦なのに威力が上がる。有馬は思った。
<これは面白い>
森には「よく考えろ」と言われていた。それは「トライ&エラーする時は、しっかり考えろ」という意味だった。それとは逆に「考えずにやってみることも大事だ」という助言もあった。たしかに東大生には、まず計算してしまう傾向が強くある。計算して、できないと判断すれば、やろうとしない。しかし、森の「まずは考えずにやってみて、トライ&エラーで考えろ」という助言は、有馬の中にすっと入ってきた。
有馬がアメリカンフットボールと出会ったのは、中学2年生の頃だった。テレビで観たNFLスーパーボウルのプレーに目を奪われた。有馬の父親は幼少期をアメリカで過ごしている。アメフト好きの父親の影響を、有馬も受けていた。
有馬の父親には弟がいて、やはり幼少期をアメリカで過ごしている。有馬にとっては叔父にあたるその有馬裕もウォリアーズのOBであり、東大卒業後はヘッドコーチを務めていた時期もある。
有馬自身は小学3年生でテニスを始め、中高と本格的に続けていた。高2の夏から1年間、アメリカに留学しているが、アメフトをプレーした経験はない。
NFLではニューイングランド・ペイトリオッツが、贔屓のチームになった。勝ち続けているのが、すごいと思った。地区優勝は、有馬が生まれた1996年から2017年までの22シーズンで17回。2001年からの17シーズンでは地区優勝15回で、そのうち7回はスーパーボウルまで勝ち進み、7回中5回は勝利を収めて全米王者に輝いている。
ペイトリオッツの真のすごさがわかってきたのは、有馬がウォリアーズのスチューデントアシスタントとなり、さらにはコーディネーターとなってからだ。
NFLには、各チームの戦力を均衡させるための仕組み――チームごとの給与総額の上限を定めたサラリーキャップ制や、前年の成績下位のチームから学生を指名できる完全ウェーバー方式のドラフトなど――が整っているにもかかわらず、ペイトリオッツがこれだけ勝ち続けているのはフィロソフィーが徹底されているからに違いない。
無名の選手をスタープレーヤーに育て、しかしそのスタープレーヤーに依存せず(法外なサラリーを要求されたら放出して)、また別の知られざる才能を発掘しては育て上げてきた。
2000年からペイトリオッツを率いてきたビル・ベリチックは、ひたすら勝負にこだわるヘッドコーチだ。フットボールIQが非常に高いベリチックの下で、ペイトリオッツはチームの全員が自らの役割をしっかり把握し、遂行する。
チーム運営の根本的なフィロソフィーから、結果にフォーカスしたフィールド上の取り組みまで、ここまで徹底できているチームはNFLでも唯一無二だ。なるほどと、有馬は思った。
<それこそが勝ちつづけている理由なんだろう。他のチームと同じで、ペイトリオッツの選手やスタッフにも家族がいたり、人生いろいろあるはずなのに>
ペイトリオッツを常勝チームとしているのが、まさしく森の言う「カルチャー」なのかもしれない。強いチームには、優れたカルチャーがあり、優れたカルチャーが浸透していれば、選手が入れ替わろうと、強いチームができるのだ。しかし、有馬がウォリアーズのカルチャーを意識するようになったのは、時間がしばらく経ってからだ。
2018年の有馬は、最上級の4年生になったことを忘れていたわけではなかったが、それ以上にディフェンス部門の責任者という自覚のほうが強かった。ディフェンスコーディネーターとして、いかに良いディフェンスを作り上げるか。そちらに集中していたのである。
※文中敬称略。