主将の楊暁達は驚いていた。4年生全員のミーティングでは押し黙っていた同期も、1対1の対話となれば、けっこう話す。こいつ何も考えてないんじゃないかと、楊が疑っていた同期も、実はいろいろ思案しているのだとわかってきた。
「俺ってさ、試合に出てないじゃん。そういうヤツが偉そうに発言したら、チームの士気を下げちゃうんじゃないかと思ってさ」
そんなふうに悩みを打ち明けてくれる同期の気持ちが、楊にはわかる気がした。主将を俺にやらせてくださいと手を挙げるまで、楊も逡巡しつづけていたからだ。
連日そうした対話を重ねていくうちに、楊は気がついた。その人の気持ちを知っているだけで、同じ行動の見え方が大きく変わる。
あの場面であいつが何も言わなかったのは、後輩のことを考えて、黙っていたからだ。そうだと知るまでは、自分のことしか考えていないからではないかと、楊は疑いの目を向けていた。気持ちを知らないから、勝手に想像してしまう。悪いほうへ、悪いほうへと想像を膨らませて、まったく見当違いの解釈となっていたケースも少なくないだろう。
気持ちがわかれば、楊も遠慮なく伝えられる。
「お前の考えはわかったから、もっと後輩たちに教えてやってくれ」
「俺たち4年なんだから、誰にも遠慮せず、もっとやろうぜ」
そんなふうに伝えたあと、試合に出ていないその同期が、熱心に後輩を指導している姿を見かければ、楊も自分のやるべきことに集中できる。そうした好循環が続いていくうちに、楊は主将として自分がいい影響を及ぼせている気がしてきた。そして、同期のみんなに支えられている実感を得られるようにもなってきた。
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学生トレーナーの川西絢子は4年生になってから、意識して選手との向き合い方を変えていた。話を聞くタイミングを一人ひとりはかるようになったのも、川西なりの工夫のひとつだった。
4年生のワイドレシーバー塩谷輝は、2年生の時も3年生の時も故障ばかりしていたせいか、自分の怪我にオープンなほうだ。周囲に部員が大勢いても頓着せず、その日の状態を教えてくれる。そう見なした川西は、人がごったがえしている部室でも、構わず塩谷に質問し、話を聞いた。
一方、4年生の副将でランニングバックの荒井優志は、みんなの前ではたいていおちゃらける。だから、ふたりだけで話ができそうな頃合いを見計らう。
3年生のワイドレシーバー森本檀は、寡黙でマイペースだ。だから川西は、いったん森本が話を始めたら、途中で気になる箇所が出てきても、口を挟まないようにした。話を遮られたせいで、森本が続きを飲み込んでしまわないようにするためだ。
川西は目標を立てていた。担当している塩谷、荒井、森本の3人全員が、2018年5月12日の京都大学との定期戦に出場できるように回復させる。それぞれ日常生活すら不自由な状態からのスタートだったので、間に合うか微妙だったが、目標を立てたほうがモチベーションは上がるだろう。
17時から練習が始まる平日、川西たち学生トレーナーは15時には部室に詰めておき、担当している選手の状態――筋力や可動域の回復具合、前回の練習によるリバウンドなど――を順次把握してから、今日はどのメニューをどれぐらいやるか、本人たちの合意を取りつけていく。練習量を減らすべきだと判断した場合は、16時半頃までに、練習を仕切るスチューデントアシスタントにその判断を伝えておく。避けてほしいプレーを特定する場合もあるし、全体的に量を少なめにといった伝え方もする。
大前提にはヘッドコーチ森清之の考えがある。まだ春の段階だから怪我人に無理はさせない方針であれば、それを踏まえて学生トレーナーたちも判断する。
アウト(その日の練習は不参加)となった選手のリハビリメニューは、担当している学生トレーナーが組み立てる。足首を捻挫している選手のリハビリなら、寝っ転がってできるメニューや、座ってできるメニューを組み合わせ、怪我をしている箇所の腫れ方や痛みの様子を見ながら、今日のリハビリはこの程度までと事前に決めておく。
目標からの逆算も必要だ。日曜日の試合に照準を合わせるのであれば、試合前日の土曜日には全体の「合わせ」に、2日前の金曜日にはユニットの「合わせ」に入れるようにしておきたい。さらに逆算して、最低限ここまではレスト、ここから動き始めと、目安を立てておく。
難しいのは、複数の選手の状態を同時に確認することだ。学生トレーナーは、グラウンドを見るか、リハビリを見るかで担当を分ける。川西は4年になってから基本的にグラウンドを担当していたので、リハビリの担当にその都度申し送りをして、託せるところは託すようにした。練習でも、その時いちばん気がかりな選手を近くで見るようにして、担当している他の選手の情報は、学生トレーナー間の共有で得るようにした。
練習やリハビリが終わったあとは、担当している選手全員に声を掛けていく。消耗しすぎているのが明らかだったり、しんどかったと漏らしていたりすれば、明日はあまり攻めすぎずに量を調整しようとか、ケロッとした顔をしていたり、余裕だったと話したりしていたら、明日はもうちょっとプラスしようとか、個別に判断する。
ただし、選手が主観で、
「ぜんぜん大丈夫でした」
と主張していても、川西の印象に違和感があれば、
「でも、あそこで変な動きをしていなかった?」
などと念のため確かめる。
選手のケアは、たいてい22時頃まで続く。翌日、ヘッドトレーナーの西田成美と一緒に状態を確認すべき選手がいれば、そのタイムスケジュールを組んでおく。
川西が担当していた塩谷、荒井、森本の3人はそれぞれ、捻挫を繰り返していた右足首、脱臼骨折していた腓骨、半月板も痛めていた右膝、などの痛みをこらえ、リハビリに取り組み、全員が目標としていた京大戦に出場できた。
<ああ、よかった>
川西は安堵しながら、何かを掴んだ気がしていた。3人とも、京大戦で大活躍していたわけではなかったが、日常生活すらままならない状態から、あれだけ走れるようになり、激しいコンタクトだってできていた。
リハビリには痛みが伴う。毎日順調に進んでいくわけでもない。学生トレーナーだろうと、大事な選手を預かるプレッシャーはのしかかってくる。
選手のスポーツ歴はさまざまで、性格も違うし、心情だって刻々と変化する。幹部がいれば、レギュラーも、控えもいる。一人ひとりの違いを踏まえて、接し方を変えながら、身体の状態や些細な変化も見逃さないようにする。
<こういうふうに、選手と向き合っていけば、いいのかな>
未来が見えてくると、そこから、過去も見えてきた。
<私、ずっと空回りしていたのかも。必死に向き合っていたつもりが、一方的だったのかもしれない。ぜんぜん緻密じゃなかったし、むしろ選手に気を使わせていたのなら、なんでも私に打ち明けてくれるわけがないよね>
京大戦を終えて、川西は充実感を味わっていた。ひたすらもがいていただけの3年の秋には、こんな日が来るとは思っていなかった。
<トレーナー、やっぱ、楽しいわ>
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変わろうとしていたのは、川西だけではない。他の選手にいい影響を及ぼしていたのは、川西が担当している4年生のランニングバック荒井優志だ。
怪我が多かった荒井はセルフケアを工夫するようになっており、やってみてどんな効果が得られたか、練習前後の時間などを利用して“宣伝”しているのを、ヘッドトレーナーの西田はよく見かけていた。
1年前の2017年と比べると、選手の姿勢そのものが変わっていた。怪我からの回復が思わしくない選手は、その理由や、早く復帰できる方法がないか知りたがる。ヘッドコーチの森がよく言うセリフを、西田も聞いていた。
「自分の頭で、考えようや」
その効果が現れてきたのか、学生トレーナーと選手のコミュニケーションは、質が変わっている。おおむね一方通行だったのが、双方向のやり取りとなってきたのだ。
※文中敬称略。