学生たちの部活動であるウォリアーズに、一般企業の株式会社ドームはどう関わるべきなのか――。2017年の年の瀬のある日、小笹和洋は自分の懸念を三沢英生に伝えた。三沢は、なるほどね、そうだよね、と相槌を打ちながら、小笹の懸念をすぐに理解した。
このような経緯があり、それで誕生したのが、学生のマーケティングスタッフだ。ウォリアーズのマーケティング活動を、現役の学生が主体となって展開していくためには、それ専用の人員を学生スタッフの中から募らなければならない。小笹のその考えに、もともとそうした部隊の発足を構想していた三沢は、当然ながら賛同した。
年が明けて2018年1月を迎えると、小笹は東大の本郷キャンパスに毎週のように通い、OBという立場でウォリアーズのマネージャーたちと話をした。
――ドーム社はありがたいことに、これだけサポートしてくれている。だけど、いくらそういうサポートがあったとしても、その企業に頼りっきりになるのではなく、自分たちで道を切り拓いていくのが、大学の部活動というものではないか。
そのような話をした相手がマネージャーだったのは、それまでマーケティングに関わるウォリアーズの活動は、彼女たちが受け持っていたからだ。今後は片手間ではなく、誰かをマーケティングに専念させて、もっと外を向いたほうがいいのではないかと、小笹は自分の考えをマネージャーたちに伝えた。
「わかりやすい比較対象は、中高の部活動です。基本的には内向きで、試合のために部員がひたすら練習するだけですよね。これに対してプロ野球やJリーグは外向きで、一般の人々の関心を集めて、応援されるようになればお金も集まるようになって、強くなっていくわけです。ウォリアーズの現在地は中高の部活動に近いよね。日本一を目指すなら、もっと外向きにシフトしていくべきじゃないのかな。学生たちに私が提案したのは、そういう話です」
2018年の春先には、マネージャーから枝分かれするかたちで、マーケティングスタッフが独立する。その年の夏に法人ができると、企業が協賛を決めるまでの“入口”は大人が作った上で、その先は学生が主体的に協賛企業に関わるようにしていった。
例えば協賛企業が、東大生との接点を作れる企業説明会であれば――。
「協賛企業との最初の話は、われわれ法人の大人がします。横に学生もいて、話をちゃんと理解しながら聞いています。その後の企業説明会自体は、募集をかけたり、企業と連絡を取り合ったり、学生が100%動いてくれます」(小笹)
こうしてみると、小笹が法人の理事となったのは、必然にしか映らない。本人は「いつの間にか勝手に名前が入っていました」と笑うが、学生スタッフにマーケティング機能を持たせるべきというアイデアを出したのは、小笹だった。そのアイデアは、やはり部のOBならではのウォリアーズへの愛、部のOBならではのウォリアーズへの情熱から生まれたものに違いない。
「法人設立までのプロセスで、すごく大きかったのは――」
小笹がそう言って挙げたのは、西村大介の名前だった。西村は京都大学アメフト部のOBであり、森清之の後輩だ。部に在籍していた年代は違うが、西村がギャングスターズの選手だった頃、12学年上の森はコーチだったので、苦楽をともにしてきた選手とコーチという関係にある。
西村は2011年から水野彌一の後任としてギャングスターズの監督となり、2016年には「一般社団法人京都大学アメリカンフットボールクラブ」の設立に、その法人の代表理事となる三輪誠司とともに深く関わっている。小笹はウォリアーズが2018年春のオープン戦を戦っている頃、好本と連れ立って京都に赴くと、似たような趣旨の法人を設立した先輩である西村と三輪からいろいろ教わってきた。親身になって教えてくれる西村たちの話をひとつも聞き漏らすまいと、小笹は必死に耳を傾けた。
もしかすると西村は、次のふたつの差異を指摘しながら、もどかしさを感じていたのかもしれない。東大と京大ではネームバリューに差があり、東京は京都よりもはるかに立地が良い。それなのに……。
「京都で協賛企業を探す大変さを、少しは考えてみてください。東京にはあれだけ企業があるんですから、それに東大なんですから、もっとできますよ」
ウォリアーズの協賛企業が急に増えたのは、小笹たちが東京に戻ってきてからだ。西村たちから授かった助言を活かし、積極的に働き掛けた結果だった。ちなみに西村は、その時すでに京大アメフト部を離れており(2018年4月からプロバスケットボールBリーグ滋賀レイクスターズの取締役。同年10月から代表取締役社長に)、東大ウォリアーズクラブが法人設立時に設けたアドバイザリーボードのメンバーに迎えられている。
日本の数ある大学の中で、東大と京大は東西の横綱のような存在だが、ことスポーツに限れば似た者同士だ。その象徴が野球部で、東京六大学では東大が、関西学生野球連盟では京大が、それぞれ最下位からなかなか抜け出せない。「双青戦」と呼ばれる両校の定期戦も、それまでの競技別開催を統合して総合優勝を争うようになった2009年以降、戦績はどっこいどっこいといっていい。
東大と京大のアメフトの定期戦は1959年に始まり、毎年春のオープン戦として東京と京都で交互に開催してきた。2017年からウォリアーズの監督とヘッドコーチになる三沢と森は、1996年の定期戦で敵味方に分かれて戦っている。当時の三沢は東大の今で言うオフェンスコーディネーターで、森は京大のディフェンスコーディネーターだった。
1984年に京大に入学した森をアメフト部に勧誘し、ギャングスターズに引き入れた2年先輩の深堀理一郎は、社会に出てから「金融アメフトの会」で三沢と出会い、親睦を深めてきた。三沢が忘れられないのは、もう一昔前の記憶となった深堀とのやり取りだ。深堀にこう聞かれた。
「最近、東大、どうなの?」
「いやぁ、2部に落ちちゃいまして……」
東大の2部陥落が決まったのは2004年の秋だったので、その直後の「金融アメフトの会」だったのかもしれない。
深堀の顔色がさっと変わるのを、三沢は感じた。普段は温厚きわまりない深堀も、ことアメフトの話となると人が変わる。それにしても、深堀が激怒するのを、三沢が見たのはあれが初めてだったかもしれない。
「はあ!? お前ぇ、わかってないな。東大が2部に落ちたのは、三沢たちの代のせいだろ」
※文中敬称略。肩書きはすべて当時のもの。