「弱い。だから挑むんだ」 東大アメフト部 大学日本一への挑戦 第26話/全66話(予定)

 2018年を迎えて、トレーナーチームは生まれ変わろうとしていた。その牽引車となっていたのが、新4年生の川西絢子だ。

<今年は結果を出さなきゃいけない。勝ちたい>

 川西は心に強い思いを秘めていた。トレーナーチームを変えて良かった。みんなにそう思ってもらうためにも、今年は勝ちたい。

 川西たち学生トレーナーは、ヘッドトレーナーの西田成美と意見を交換しながら、役割をどう分担していくか整理した。当然ながら尊重したのは、現場の総責任者であるヘッドコーチ、森清之の意向だ。森や監督の三沢英生が求めていた通り、怪我人に対する医療行為や戦線復帰等の判断は、すべて西田たちプロに任せることにした。さらに前年踏襲で続いていた不要な慣行を見直し、改善に努めることにした。

 そのひとつに練習前のマッサージがあった。痛みがあって、力がしっかり入らない選手の筋肉を、学生トレーナーが丁寧にほぐしていたのは、その日の練習に参加できるようにするためだった。しかし、時間をかけてほぐした割には、結局練習に参加できないケースが多かった。

 そもそも選手たちは、自分でできるセルフケアを、まめにしてくれているのだろうか。川西たちはそこから見直し、できるだけ選手を甘やかさないようにした。練習前のマッサージは、手術を受けた傷口が突っ張るなどして痛んでいるか、折れた骨を固定しているプレートの下の筋肉を選手が自分ではほぐせない、などといった場合に限るようにした。

 学生トレーナーの川西がずっと模索していたのは、選手との向き合い方だった。

今でも、鮮明に覚えている。

駒場グラウンドの蒸し暑い昼下がり。目の前には20人ほどの同期選手。入部して1ヶ月半、初めて練習前のUpを仕切ることになった。

 こんな書き出しで始まる、川西の文章がある。新入部員を勧誘するために、3年生になってまだ間もない17年の春に書いたものだ。同様の発信を依頼された部員の中には、ウォリアーズの魅力を伝える動画を撮影し、SNSに載せる者もいた。川西は文章での発信を選ぶと、ずいぶん時間をかけてどこか詩のような散文をしたため、それはやがて部のリクルートブログに掲載される。

今でも、鮮明に覚えている。

駒場グラウンドの蒸し暑い昼下がり。目の前には20人ほどの同期選手。入部して1ヶ月半、初めて練習前のUpを仕切ることになった。指示を出す自分の声は少し震えていた。順番を書いたメモは手の汗で少し柔らかくなっている。いつの間にか落としていた視線を上げた、そのとき

彼らが真っ直ぐ私を見つめていた。私を信じてくれていた。

「ここにいたい」

こんな私でいいならこの部活にいたい。四年間彼らと一緒にいたい。彼らと勝ちたい。そのためにトレーナーとしてできることがあるのなら、全力を尽くしてみよう。未来はいくらでも変えられるから、まだ見ぬ後輩も含め選手のサポートをしよう。四年間、頑張ってみよう。

不意に想いがするすると溢れて、じわっと胸の中で広がった。

自分の中で何かが固まったような気がした。多分、それは責任感だった。

トレーナーで大切なのは「向き合う」ことだ。

選手の身体の状態や動きに。些細な変化に。彼らの気持ちと本音に。

荒くて大雑把な自分の短所に。実力の足りない自分の不甲斐なさに。

正直、目を背けたくなる。投げ出したくなる。めちゃくちゃ悔しい。

それでも

自分が状態をよく見ていた選手が目の前の試合で活躍した瞬間。

長期の怪我から復帰し元気な姿で練習している選手を見た瞬間。

選手の身体の悩みに相談に乗って、ありがとうと言われた瞬間。

選手が自分を信頼してくれて、それに報いることができた瞬間。

この儚くも愛おしい一瞬が、辛い時の私を支える。

あのときの強い衝動。あのとき芽生えた責任感。勝利への欲望。

この稀だが狂おしい感情が、辛い時の私を強める。

だから私は目の前の選手と向き合い続ける。

この一言が、この親身さが、この真摯さが、

彼らとチームの未来を変えると強く信じて。

緻密な作業が苦手な「自分」、アメフトも知らなかった「自分」、

役立つ人間でありたいと思いながらもどこか諦めていた「自分」。

新入生の皆さん、今までの「自分」を裏切ってみませんか。

 2015年の春に東大生となった川西は、ウォリアーズへの入部を決めた時、ふいに聖書のある言葉を思い出した。中高時代に通っていたプロテスタント系ミッションスクールが、建学の精神として掲げていた「敬神奉仕」の一節だ。

「隣人を自分のように愛しなさい」

 言葉の意味はわかるけど、実践するのは難しい。川西のその気持ちは、高校卒業までの在学中ずっと変わらなかった。思いつくのは「道で困っている人がいたら、助けよう」という程度の、人として当たり前の優しさぐらいのものだった。

 その一方で、高校生の川西は、幼少期から14年間続けてきたクラシックバレエをきっぱり辞めた。プロになれるほどの才能があるわけではなく、何のためにやってきたかと言えば、突き詰めれば自分のためだけだったと気づいたからだ。自分のためだけという空しさは、後ろめたさと表裏一体だった。

 バレエを辞めた川西は、大学受験に打ち込んだ。東大に合格し、ウォリアーズで学生トレーナーになると決めた途端、あの建学の精神が、お告げのように浮かんできたのだ。

「隣人を自分のように――」

 アメフト部で、トレーナーとして、その精神を体現しなさいと言われている気がしてならなかった。その聖書の一節は、やがて「向き合う」という言葉と重なった。

 しかし、川西は4年生になっても、まだ掴みあぐねていた。担当する選手とどう向き合えば、紛れもない自分事にできるのか、本当にわかっているとは言い難い……。

 ――――◇――――◇――――◇――――

 ヘッドコーチ就任2年目も、森は1年目の延長線上にいた。当初からの構想を見直す理由はなかった。ウォリアーズの理念は「未来を切り拓くフットボール」のままで、目標も「大学日本一」のままだった。

 森が引き続き学生たちに伝えていたのは、前例踏襲の危うさだ。それまで疑いなく続けてきた部の伝統、あるいは慣習を見直し、より良い方法があればどんどん変えていけばいい。マネージャーたちには、選手を甘やかさないようにと、釘を刺していた。

 選手が自分でできることは、選手にやらせる。森がなぜ、そう仕向けたかと言えば、雑用に追われるマネージャーたちが才能を浪費しているように映っていたからだ。

「雑用は誰かがやらなきゃいけないし、選手にやらせるにしても限界はあるでしょう。それでも、東大アメフト部のマネージャーたちには、その名の通り、チームのマネジメントをしてほしい」

 マネージャーには、マネージャーにしかできないことがある。学生トレーナーも、スチューデントアシスタントも、マーケティングスタッフもまたしかりだ。

 弱いチームが、保守的に、常識に縛られたままで、強いチームに勝てるのか。当たり前のことを当たり前にやって勝てるのは強いチームであって、東大が同じことをしていてはアメフトで日本一になる日など永遠に訪れるはずがない。

「企業でいえば、私学強豪のアメフト部は東証一部上場の大企業で、グローバル企業でもあったりするわけです。東大はベンチャーで、ひょっとしたら個人商店に近いかもしれません。個人商店がグローバル企業に勝つには、やっぱりリスクを取らなきゃいけないし、人がやっていないことをやらなきゃいけない。ベンチャーマインドというか、そういう精神を忘れてしまったら、日本一なんて絶対になれっこないです」

 2018年の春、マネージャーから枝分かれするかたちで、「マーケティングスタッフ」という新たな役割が誕生する頃、監督の三沢が手術を受ける日が近づいていた。メスを入れるのは心臓だった。

※文中敬称略。

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Written by

株式会社EDIMASS 
手嶋 真彦Masahiko TEJIMA

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