「弱い。だから挑むんだ」 東大アメフト部 大学日本一への挑戦 第24話/全66話(予定)

 2017年12月3日の横浜国立大学戦を最後に遠藤翔の代は引退し、新4年生たちは遠藤の後任となる主将を決めるための話し合いを始めた。新主将候補は4人いた。しかし、それぞれ学業、性格、怪我などを理由に挙げて、率先してその大役を引き受けようとする者はいなかった。楊暁達も最初は、俺は怪我をしていたからと、煮え切らない態度を取っていた。

 ヘッドコーチの森清之は何も口出ししなかった。もちろんそれには理由がある。学生同士の関係性は、森の目に、こう映っている。

「相手に立ち入りすぎないようにしている、と言いますか。よく言えば仲間を尊重しているから。悪く言うと自分が傷つくか、相手を傷つけてしまうのを恐れているから。それで一線を越えないように気をつけているのだと思います」

 その反面、孤立をひどく恐れる傾向も窺える。

「なので、常にどこかのコミュニティに属していたいという意識が、すごく強いです。そのコミュニティの中で空気を読んで、近づきすぎないように距離を取りながら、うまくやっていこうとしています」

 3年生までなら、そうした関係性のままでも支障はないのかもしれない。しかし、チームの核となるべき4年生同士が遠慮し合っていては、大きな推進力は生まれない。どこまで遠くへ行けるかは、推進力の大きさにかかっている。それを決める燃料となるのが部員同士の切磋琢磨であり、尊重し合っているだけでは、いつまで経っても磨き合えない。それに、どうせ切磋琢磨していくなら、早いほうがいい。森は言う。

「幹部を決めていくには、意見を出さなきゃいけません。他薦であれば誰かが誰かを推さなきゃいけないし、そいつじゃダメだという反論も出てくるでしょう」

 なぜ、そいつじゃダメなのか。みんなが納得できる理由を述べるには、一定の距離を保っていたそれまでよりも、一歩も二歩も踏み込まざるをえなくなる。当たり障りのない関係のままなら、永遠に指摘しないであろう問題や欠点に言及せざるをえなくなる。

 問題や欠点を指摘されたほうは、その時は面白いはずがない。しかし指摘するほうだって、本当は黙っていたいのだ。それでもあえて口に出すのは、勝ちたいからだ。勝ちたいからあえて苦言を呈する。その時は苦い味がしたとしても、やがて指摘が生きてくれば、関係は変化する。本当の信頼関係を築くとは、そういうことなのかもしれない。

 新主将の最有力候補は、深澤隆一郎だった。3年になってからタイトエンドという万能性が求められるポジションでレギュラーの座を掴むと、秋の公式戦にもコンスタントに出場し、活躍していた。努力家で、練習中の振る舞いも試合中のパフォーマンスも優れていたので、深澤を主将とする選択肢に大きな異論は聞こえてこなかった。

 それでもすんなり決まらなかったのは、肝心の深澤が躊躇していたからだ。たしかに慎重な性格が主将に向いているか、深澤を客観視できる立場の楊にもわからなかった。用心深いからこそ準備に抜かりはなく、ひとりの選手としてはフィールド上で結果を残してきた。しかし、チームを引っ張っていく上では、同じ慎重さが無用なブレーキにもなりかねない。それに試合で劣勢に立たされた時、気落ちしている仲間たちを、ひとりで鼓舞できるタイプでもない。

 絶対数は少なかったが、楊を主将に推す同級生もいた。怪我からの回復途上の選手をあえて推薦する理由は、楊が発してきたポジティブな言葉やエネルギーにあるという。

 実際に楊は、下級生の頃から、とくに練習中にリーダーシップを発揮してきた。2018年のチームを上昇気流に乗せられるのは、楊のようなタイプのリーダーではないか。楊を推薦する同期は、そのような期待を寄せていた。

 まったく別の角度から、別の意見を主張する者もいた。楊はオフェンスラインの中心となる選手なのだから、主将の重責を背負わせるべきではないと言う。たしかにオフェンスラインは代替わりでレギュラーが一新されるタイミングだったので、経験豊富な楊をそちらの強化に集中させるという考え方にも一理ある。

 新主将はなかなか決まらなかった。膠着した議論を打開するための一案として、複数主将制、あるいは全員主将制というアイデアも浮上した。4年生全員で目標を定め、4年生全員でその目標に向かっていくのに、キャプテンを誰かひとりに固定するのは違うのではないか。たしかに、言われてみると、その通りなのかもしれない。

<だけど、それなら――>

 楊は矛盾を感じずにはいられなかった。自分に主将をやらせてほしいと、どんどん手が挙がってしかるべきではないだろうか。

<実際には、誰ひとりとして手を挙げていないじゃないか。俺を含めて、誰ひとりとして……>

 楊は、後ろめたさも引きずっていた。直近の秋に大きな怪我をして、チームに何も貢献できなかっただけではない。アメフトや部活動からいささかなりとも気持ちが離れかけていた時期があったのは、楊自身がいちばんよく知っていた。

 楊を主将とすることに反対する意見もあった。戦線離脱中、チームに良い影響を及ぼせなかった選手を主将にすれば、後輩たちがどう思うだろうか。その選択に疑問を抱いた後輩たちをモヤモヤさせて、チームが一丸となれなかったら? それはもっともな懸念だと、楊自身も納得できた。

 そして、その日を迎えた。

「わかった。俺が主将を引き受ける」

 深澤がそう宣言するはずだった。

 新主将を決めるための話し合いを始めてから、もう3週間近くが過ぎていた。深澤がようやくその気になったのは、それだけ深澤を主将に推す声が強かったからだろう。4年生全員を前にして、深澤はこう切り出した。

「俺……、やっぱり違うわ」

 え? その場にいたほぼ全員がフリーズした。

「俺はキャプテンに向いてない。だから、やらないわ」

 じゃあ、誰がやるの? 声にならない声だけが、その場を飛び交う。

 沈黙を破ったのは楊だった。

<ここで何もアクションを起こさなかったら、後で絶対に後悔する。俺が主将になるか、ならないかは別にして――>

 それまで何度も飲み込んでいた言葉が、口を衝いて出てきた。

「俺がやりたいです。俺にやらせてください!」

 ――――◇――――◇――――◇――――

 数日後の次のミーティングで、新主将は楊に決まり、深澤は3人の副将のひとりとなった。森は報告を受けただけで、学生たちの選択には何も言わなかった。

「東大の場合は、幹部を決めていくプロセスのほうに、より大きな意義があると思っていますから。4年が4年同士で、きちんと向き合うプロセスです。しっかり時間をかけて向き合いながら、お互いの考えを知っておく。それがすごく大事なことだと思っています」

 そうしたプロセスの途中で、森が相談を持ち掛けられることもある。主将候補の部員たちが集まっていた席上で、楊は、こんな泣き言を漏らしていた。

「怪我でチームに何も貢献できなかった、俺みたいなヤツが主将をやっても、いい影響は与えられないと思います」

 それは違うと、森は指摘した。悩むところが違っていると。

――やるか、やらないかの選択には、悩まなくていい。やるならやる、やらないならやらないで、そこはスパッと決める。そして、それが正しい選択だったと言えるように、どうやるかを悩むべきだ。

 森は助言をこう続けた。

――できない理由なんか、探せばいくらでも出てくるぞ。そんなところに固執しないで、自分にできることだけを集めていけばいい。

 楊はハッとした。痛いところを突かれたからだ。できない理由を見つけ出し、やらない選択を正当化するのは、理屈っぽい東大生の得意とするところだ。その殻を破れるか、俺自身も、今年のチームも問われているのではないか。

<だとすれば、遠慮なんかしている場合なのか>

<俺らの代を勝たせることができるのは、俺らの代だけなんじゃないか……>

 そうした葛藤が沸点に達し、吹きこぼれるように溢れ出したのが、「俺がやりたいです」と名乗りを上げた瞬間だった。

 主将に決まると、森に聞いた。聞かずにはいられなかった。

「優れたキャプテンに共通するサムシングが、あるのでしょうか?」

 指導者としてさまざまなキャプテンを見てきた森は、楊に言った。

「一口にキャプテンといったって、実際には千差万別や。それで構わないと、俺は思っているよ」

 ただし、唯一、これだけは持っていたほうがいいと、森は付け加えた。

「チームの誰もが、もうダメだと思っていても、最後まで絶対に諦めない気持ちだけは、持っていたほうがいい」

 ――――◇――――◇――――◇――――

 4年生全員で定めた目標は、水準の向上だった。2018年に可能なのはBIG8からTOP8に昇格するところまでだが、その先にある日本一を見据えて、水準を上げていく。

 当面の大きな課題はヒットにあった。コンタクトの際のヒットが弱すぎる。ヒットが弱いままだと、いつまで経っても勝てるわけがない。森にはそう指摘されていた。

 ヒットを強化していくためにも、真っ先に改善しておかなければならないのが、フィジカルとファンダメンタルだ。スキルの習熟には時間がかかる。しかし、フィジカルの強化とファンダメンタルの獲得には、そこまでの時間はかからない。

 目標の日本一へ、どこから水準を上げていくべきか、明らかだった。

※文中敬称略。

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Written by

株式会社EDIMASS 
手嶋 真彦Masahiko TEJIMA

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