「弱い。だから挑むんだ」 東大アメフト部 大学日本一への挑戦 第22話/全66話(予定)

 2017年12月3日の横浜国立大学戦は苦しい展開となる。第1クオーターにいきなりタッチダウンを2つ奪われ、ウォリアーズが常にリードを許したまま時間はどんどん過ぎていく。

 アメリカンフットボールは、3アウトで攻守交代となる野球と似たところのあるスポーツだ。大きな違いは、野球に3アウトという攻守が入れ替わる明確なタイミングがあるのに対し、アメフトは攻撃側がプレーの開始地点からパスかランで10ヤード以上前進できれば攻撃権を更新できるところにある。

 攻撃側は攻撃権を得てから、野球に例えればバットを4回スイングできる。もちろん野球と違って、ピッチャーはいない。司令塔のクオーターバックが声で攻撃の開始を合図し、味方がスナップ(後方へのパス)した楕円球を受け取ってから、パスかランで前進を試みる。この一連のプレーが野球のスイングに相当し、4回目のスイングまでに10ヤード以上前進できれば攻撃権更新となって、新たに4回スイングする権利が与えられる。

 アメフトのフィールドは縦に100ヤードの長さで、真ん中のハーフウェーラインが50ヤード地点を、両端のゴールラインが0ヤード地点を示している。敵陣のゴールラインの奥(エンドゾーン)までボールを持ち込めばタッチダウンとなり、6点獲得となる。東大が横国大戦で最初に許したタッチダウンは、敵陣36ヤード地点から64ヤード前進されて奪われたものだった。

 野球が3アウトになるまで攻撃できるのに対し、アメフトにはその保証がない。攻撃側がパスしたボールを空中でインターセプト(横取り)されるか、攻撃中にファンブルしたボールを敵に確保されると、その時点で攻守交代となる。横国大に許した2つ目のタッチダウンは、東大のオフェンスが自陣25ヤード地点でファンブルしたボールを確保され、直後の守備で25ヤード前進されて奪われたものだった。

 タッチダウンの後のトライフォーポイントは、3ヤード地点からのキックか、同じ3ヤード地点からの通常の攻撃を選択できる。キックが決まれば1点追加、通常の攻撃でエンドゾーンにボールを持ち込めば2点追加となる。つまり1回のタッチダウンで獲得できる得点は最大8点、最小6点。横国大の2回のトライフォーポイントはどちらも失敗に終わり、東大のビハインドは6点×2で12点となっていた。

 試合は東大が常にリードを許したまま進んでいく。第2クオーターに7点を返して(7-12)、アメフトでは僅差の5点差まで詰め寄りながら、第3クオーターにこの試合3つ目のタッチダウンを許し(7-19)、突き放されたまま最後の第4クオーターを迎えてしまう。

 野球は9イニングあって、アウトを27個取らなければ、勝利に至らない。しかしアメフトは時間制なので、リードしている側はラン主体の攻撃で相手が使える時間を減らしていく戦略も取れる。ランを使えば、前進できても、阻まれても、時計が止まらないからだ。放っておけばどんどんカウントダウンされていく計時を止めるには、パスを使う。パスを使えば、成功しても失敗しても、その時点で計時が止まる(ただし、ランを使った攻撃でボールを保持する選手がそのままサイドラインの外に出れば計時は止まる。逆にパスを使った攻撃で、パスをレシーブした選手がそのままランに移行すれば計時は止まらない)。12点をリードして第4クオーターを迎えた横国大は、ラン主体の攻撃で時間をたっぷり使い、東大の攻撃は第1クオーターと第2クオーターの各4回から、第3クオーターと第4クオーターは各2回に減った。

 野球であればバットを4回スイングできるアメフトの攻撃では、4回目のスイングを断念するケースが少なくない。スイングを3回終えた時点で攻撃権の更新が――つまり10ヤード前進するのが――困難だと判断した場合だ。4回目のスイングを放棄すれば、その代わりに陣地を大きく挽回できるパントキックを選択できる。相手の攻撃開始地点を自陣のエンドゾーンからできるだけ遠ざけておけば、直後の守りでタッチダウンを奪われる可能性が低くなるので、パントキックを選択するわけだ。

 逆にあえてパントキックを使わないという戦略もあり、パスかランで一か八か攻撃権の更新(もしくはタッチダウン)を狙うその選択を「ギャンブル」と言う。横国大戦第4クオーターの東大は、結果的に2回だけとなった攻撃で、どちらもギャンブルを選択するしかなかった。そしてギャンブルはどちらも失敗に終わり、勝負はついた。

 その瞬間、主将の遠藤翔は心の中で呟いた。

<ああ、終わっちゃったんだな……>

 仲間が泣いているのが見える。嬉し涙のはずがない。遠藤自身は、やり切ったのかと問われれば、やり切ったと答えられる。しかし、腹の底から本当にやり切ったと言えるのか、改めて自問自答してみると、よくわからなくなってきた。

 主務の川原田美雪は込み上げてくる涙を必死にこらえていたが、それも次の瞬間までだった。向こうから、森安芽衣と重倉陽子が近づいてくる。その途端に全身の力が抜け、泣き崩れていた。

 重倉は、かつて退部を決意した川原田が、その意思を最初に伝えたマネージャーの2学年上の先輩だ。川原田が4年になり、主務に決まると、重倉はすぐに「おめでとう」と連絡をくれた。自分のことのように祝福してくれる重倉の気持ちが、川原田にはわかる気がした。主務は森安の代までで廃止となり、森安の3学年下の川原田の代から復活した経緯があった。重倉もまた「森安さんのような」主務を目指していたのを、近くにいた川原田はよく知っていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 川原田は泣き崩れたまま、森安と重倉に何度もわびた。先輩たちより、はるかに恵まれた環境を用意してもらえたのに……。目指していたTOP8昇格という、せめてもの目標すら果たせなかった。日本一など、夢のまた夢だった。

 ヘッドコーチの森清之は最後のハドルで、4年生にこんな言葉をかけた。

「負けたからといって下を向くことはない。OBになってからも、肩身の狭い思いをする必要なんかまったくないぞ。自分が一生懸命、部活動を本気でやってきたと思うなら、結果は関係なく、堂々と胸を張ればいい」

 勝てない試合ではなかったと、森は考えていた。やはり力不足ではあったが、最後まで勝負を諦めず、自滅もせずに戦えた。重圧のかかるこうした試合で「ある程度」(森)であっても持てる力を出せたのは前進であり、収穫に他ならない。

「誰だってギリギリのところに追い込まれたら、頼れるのは自分だけなんです。自分をしっかり確立できていなければ、苦しい時や勝負どころで力は出せないと思います」

 それこそが自信だと森は言う。文字通り自分を信じる力――。

「自信を僕がつけさすことはできません。結局、日々、自分の頭で考えて、答えが出ないことでも考え続けて、己の限界に向き合い、それを破る努力をして、跳ね返されたり、壁を突き破ったり、そういうことを繰り返していきながら、自信って少しずつ形作られていくものだと思うんです」

 その意味で、遠藤や川原田たちの代にも成長の跡は窺えた。

「自分の頭でしっかり考える。それが自信をつけていくための絶対的な第一歩ですよね。頼れるものが自分の中にない限り、修羅場ではいい働きができないと思います。別の言い方をすれば、普段通りにできるからこそ、結果的にいい働きになっている」

 4年生は立派に戦った。だからこそ森は、最後のハドルで思いを伝えた。

「スポーツって良くも悪くも、終わればスパッと切り替えられるよな。明るく、爽やかに、悔いなんかないって、切り替えようと思えば切り替えられる。でもな、今日はスパッと切り替えてなんかほしくない。4年間、一生懸命やってきたなら、スパッと終わらせるなんてもったいないぞ。今日感じたこの悔しさを、いい意味で引きずってほしい」

 ウォリアーズの新体制1年目の戦いは終わった。監督の三沢英生が職場で倒れ、救急車で運ばれたのは、横国大戦を終えてまだ間もない頃だった。

※文中敬称略。

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Written by

株式会社EDIMASS 
手嶋 真彦Masahiko TEJIMA

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