「弱い。だから挑むんだ」 東大アメフト部 大学日本一への挑戦 第21話/全66話(予定)

「先輩の夢、かならず私が、実現してみせます」

 1年生の川原田美雪がそう宣言してから、3年の月日が流れようとしていた。2年生の秋も、3年生の秋もTOP8に昇格できず、3学年上の森安芽衣に約束していた「日本一」の夢は、もはや川原田の在学中には叶えようがなくなった。しかし、大きな夢そのものが消えたわけではない。日本一の実現を後輩たちに託すためにも、まずは12月3日の横浜国立大学戦に勝ち、チャレンジマッチに出場しなければならない。

 試合中は川原田たちマネージャーも戦っている。ある者はビデオカメラをピントがブレないように、試合後に確認しやすいアングルで回す。ある者はヘルメットなど防具の破損が怪我に繋がらないよう点検して回る。ある者はベンチに戻ってきた選手たちの回復を助けようとする。

 森安は主務としてだけでなく、マネージャーとしても川原田の憧れだった。ベンチに戻ってきた選手が汗を拭う濡れタオルを、1年の川原田からは誰も受け取ろうとしない。ところが4年の森安が配れば、あっと言う間になくなった。同じ濡れタオルなのに、どこが違うのか。川原田はやがて気がついた。渡し方やタイミングの微妙な違い、アイコンタクトの有無、そしてマネージャーとして信頼されているか否か……。

 川原田は2年生までビデオを担当し、3年生でベンチ担当に回ってからは、試合中に少しでも余裕があれば、選手一人ひとりの癖や好みを見つけておくようにした。汗っかきでタオルを多めに渡したほうがいい選手、よく冷えたドリンクでなければ飲みたがらない選手、大人数用の長椅子ではなく一人用の丸椅子に座りたがる選手もいた。ベンチでマネージャーにどうしてほしいか、事前に選手からの要望を聞きもした。

 川原田はベンチに引き上げてくる選手の様子を見続けているうちに、肉体的に疲れが出てきただとか、精神的にきつそうだとか、わかるようにもなってきた。試合中のそうした変化に注意しながら、できるだけ多くの選手をいかに快適にプレーさせるか、川原田は工夫を凝らした。試合そのものは見ていない。得点差や残り時間など必要な情報は場内放送や周囲の声から取り入れる。それが川原田なりの戦い方だった。

「私が試合を見ていたって、結果は変わりません。でも、ドリンクのボトルを置く場所を細かく変えたりすることで、選手がベンチにいる間にちゃんと休めたり、落ち着きを取り戻してくれたりしたら――。サイドラインのこっち側が、私が守らなければいけない領域なので」

 川原田は子供の頃から単純作業の繰り返しが嫌いで、例えば年賀状の住所をひたすら打ち込まなければならない時は、めんどくさい、お母さんがやればいいじゃん、そう言って、すぐに投げ出そうとした。

「部活って、とくにマネージャーは、つまんない仕事ばっかりなんです」

 ところが、嫌いなのに得意、という場合もある。川原田がまさにそうだった。マネージャーの仕事が“嫌いなのに得意”だったのだ。得意なので、同じ作業をしていたマネージャーから褒められる。褒められると嬉しくなって、作業効率ができるだけ上がるように工夫しながら、もっとやる。例えばボトルをきれいに洗う作業なら、もう誰にも負けないと思えるほど速くなった。いつの間にか、あれほど嫌いだった単純作業が楽しくなっていた。

「それこそ誰にでもできることばかりなんですけど、地道にやってきてよかったなぁって思います」

 青森に帰省すると母親にこう言われた。

「なんだか別人になったみたいだね」

 川原田もそう思った。昔はあんなにわがままだったのに、ずいぶん忍耐力が、それに体力もついたよなぁ。

「何よりも、私、ウォリアーズに入るまでは、チームで何かをやるという経験をしてこなくて。大学の受験勉強だって、ひとりでやればよかったですし。でも、チームを作って、同じ目標を目指していくのに何が必要なのか、主務というリーダーとして私に何が必要なのか、実際に経験してみないと絶対にわからない。それがいちばん大きかったです。学んだことによって価値観が変わりましたから」

 この先ずっとチームの根幹にできる理念を、4年生だけで考えてみろ。新監督の三沢英生にそう言われたのは、川原田が主務になったばかりの頃だった。最初は4年全員で話し合ってみたが、意見が割れて収拾がつかなくなり、三沢に期限を設けられていたので幹部の4人だけでまとめることにした。

「君たち、なんで、勝ちたいの?」

 それが三沢に突きつけられた、シンプルでありながら、答えがなかなか出てこない深い問い掛けだった。

「え、なんで、だろ?」

 幹部4人の話し合いは、たちまち行き詰まる。

「勝ちたいけど、なんでなの?」(川原田)

「わからない」

「…………」

「やっぱり勝ちたいからでしょ」

「だから、なんで、勝ちたいの?」(川原田)

 そんな堂々巡りになってしまう。4人とも無言になる時間も長かった。やがて部室を退出しなければならない22時になり、それぞれいったん帰宅する。そんな日々が数日続いた。

 川原田が鮮明に記憶しているのは、「なんで、勝ちたいの?」と投げ掛けた時、主将の遠藤翔が浮かべた表情だ。川原田の目を真っ直ぐに見つめながら、明らかに困惑していた。語る言葉がなにひとつないからに違いなかった。副将の勝浩介と鎌形勇輝も同じような表情を浮かべただけだった。4年になるまで、何も考えてこなかった。それゆえの困惑に違いない。川原田はそう察した。

「私もそこまで考えていなかったけど、口だけはよく回りますから。ハハハ。あの光景はすっごく覚えてます」

 困惑する理由も川原田には想像できた。勧誘されたその場のノリで入部した部員が多いのだ。なんとなく部活を続けてきて、やっていたら楽しくなり、選手であれば試合に出たい、活躍したいと思うようになる。勝ちたい理由など考えたことはない。

 結局、時間切れとなり、幹部4人でなんとか捻り出したアイデアを、代表して遠藤が三沢に伝えた。やがて理念は「未来を切り拓くフットボール」に決まり、幹部4人のアイデアは「なにひとつ採用されていませんでした(笑)」(川原田)。

 しかし、この話し合いを経て、川原田には変化があった。なんで、勝ちたいか? この問いを起点として、「だから、勝ちたい」と部員全員が思えるような共通の目標を見つけ出そうとする作業が、川原田にもたらした変化だった。

 議論しながら、疑問は尽きなかった。

 幹部の「だから、勝ちたい」と、幹部以外の「だから、勝ちたい」は同じなのか?

 試合に出ている選手の「だから、勝ちたい」と、試合に出ていない選手の「だから、勝ちたい」は、もしかすると違っているのではないか?

 選手とスタッフで違いはあるだろうし、4年生と1年生でも違いはあるだろう。部員全員が納得できる「だから、勝ちたい」を見つけようとする時間は、部員全員に共通する思いを探りながら、部員それぞれの違いに思いを馳せる時間にもなっていた。

 川原田はマネージャー、あるいはスタッフの立場で、自分の考えを述べた。

・誇りに思えるチーム、そのためのチーム作りを部全体の目標にすれば、マネージャーを含めたスタッフの仕事は目標に結びつきやすくなる。

・誇りに思えるチームは強いチームでもあるだろうから、選手もしっくりきて、選手とスタッフのベクトルが同じ方向を向くのではないか。

・勝利や日本一のもっと先にある「誇りに思えるチーム」といった目標を設定できたら、理想的ではないか。

 三沢に理念を考えてみろと求められ、幹部4人でいろいろ議論しているうちに、ぼんやりとしていた自分の考えが構造化されて、すっきりまとまったのだと川原田は感じた。それまで「勝利」と「誇りに思える」は交わらない並列の目標としか捉えられずにいたが、「勝利」の先に「誇り」があってもおかしくない。ただし、これはスタッフならではの発想なので、選手に浸透させるのは難しいだろう。川原田はそう考えていた。ところが、選手でもある他の幹部から「なるほど」といった肯定的な反応が返ってきた。

 幹部4人の話し合いは、それまで川原田が知らなかった選手の価値観を知る機会にもなった。選手が雑用を嫌がるのは、アメフトが上手くなったり、身体を強くしたりするほうにエネルギーを使いたがっているからだとか、チームの強化よりも自分の成長を優先しているのが実は本音なのだとか。勝は副将になるまで、自分が試合に出て、勝つことにしか興味がなかったとはっきり言った。チームのために何ができるか、それを考えるしかないマネージャーにはない姿勢だったが、「私も選手だったら、そうなるだろう」と理解できた。それまで遠い存在でしかなかった選手が、近くにいるように感じられた。

 なんで、勝ちたいか?

 その堂々巡りの議論から脱しようと、幹部4人それぞれが入部動機にまで遡って自分のルーツを探る、身の上話にもなった。川原田は聞きながら思った。

<私、この人たちのこと、何も知らなかったんだ>

 価値観が変わったからこその悔いもある。

 ウォリアーズが大変革を進めていくために必要な部室改装等の新規案件はどれも、監督の三沢から主務の川原田に一元化して託された。他のマネージャーはそれぞれすでに決まった任務を抱えている。新規案件は細かい仕事を含めれば大量にあり、スピードも求められたため、川原田は片っ端から自分で片付けていくことにした。

 少しして、三沢に指摘された。

「お前さぁ、主務なんだから、新規の仕事をひとりだけで抱え込むな。全体を見て、統括していくのが主務本来の役目だろ。いまはできているからいいけどさぁ、このままだとお前がパンクするぞ」

 実際にパンクしかけていると自覚しながら、川原田はそのまま突っ走った。その結果が夏合宿の前に後輩のマネージャーから言われた「そのスピードについていけない」という訴えだった。

「三沢さんの意図を――こういうチームにしたいから、それにはこれが必要で、という理由を――私だけ理解していたんです。マネージャーを含めた他の部員たちは、そこがよく理解できていなかった。私の説明が不十分だったから。趣旨をしっかり伝えず、ただやりましょうと言っていただけでした」

 後輩の訴えはもっともだ。そう思った川原田は、意識してもっとコミュニケーションを取るようにした。すると誰もが、川原田の話に興味を示してくれた。

 その一方で、抱えていた新規案件を中途半端なままで手放すわけにはいかなかった。困惑する川原田に助け船を出してくれたのが、同期のマネージャー3人だった。彼女たちは口々にこう言った。たしかに突っ走りすぎているのかもしれない。でも、突っ走るのが美雪なんだから、それでいいよ。みんなに合わせて止まってしまうのは、もったいないから。美雪が突っ走ってできた隙間は、私たちが埋めて、みんなを連れていくからさ。

 4人とも同じウォリアーズのマネージャーで、同じ4年生で、それでも違う考えを持っていて、逆に同じところもあった。

「同じところはやっぱり普遍なんだって自信が持てたし、意見があまりに違っていたら、え、マジ? そうなの? って(笑)、彼女たちのフィルターを通すことで、自分が偏っていたんだなとか、それでも考えが変わらないままなら、これは私のこだわりなんだとか、そういう客観性が生まれていて」

 なかでもマネージャー長の海野悠とは、しょっちゅう喧嘩になった。自分にも他人にも厳しい川原田に対して、はるかに慎重で柔軟なのが海野だった。私たちと同じくらい真剣に部活に取り組んでいても、つい弱音を吐いてしまったり、うまくできなかったりする子もいる。みんなが美雪ほど強いわけじゃない。もっと配慮してあげたほうがいい――。海野にそう言われて衝突し、海野がそう言うならと考え直し、そんなことを繰り返しているうちに、川原田の視野は広がっていた。

 同期のマネージャー3人に「そのまま突っ走ったほうがいい。でも、私たちにできることがあれば、一緒にやるから振ってほしい」と言われた川原田は、引き継げる仕事は同期や後輩に引き継ぎ、手が空いた分で、全体の動きを見るようにした。すると――。

「私がひとりで抱え込んでいた頃より、すごく良いものができてきたり、逆に私に余裕ができたので、いろんなことに気づけて、そこから意見交換もできたり……」

 そこまで漕ぎ着けたのは、もう秋の公式戦が始まる頃だった。遅かった。もっと早くこうしていたら……。川原田にはそんな悔いが残っていた。後輩たちに私と同じ轍を踏ませるわけにはいかない。そのためにもTOP8に昇格したい。TOP8に昇格できれば、関東王者にだってなれるし、甲子園ボウルだって制覇できるのだから。川原田たちの代にできるのは、そんな未来に繋がる土台を作ることだった。

※文中敬称略。

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Written by

株式会社EDIMASS 
手嶋 真彦Masahiko TEJIMA

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