「弱い。だから挑むんだ」 東大アメフト部 大学日本一への挑戦 第19話/全66話(予定)

 西田成美がアスレチックトレーナーを志すようになったきっかけは、中学時代の部活動だった。所属していたテニス部で顧問をしていた先生が、教え子の部員たちにテーピングを巻く姿、その所作に憧れた。西田は高校でもテニス競技を続けたが、怪我が多く、慢性化してもいた。スポーツは好きなのに、思うようにプレーできない。自分と同じそうした悩みを抱えたアスリートをサポートする仕事に就けないか――。そう思うようになったのは、高校生になってからだ。

 高校卒業後、入学した専門学校の実習先にたまたま鹿島ディアーズがあり、ディアーズのヘッドコーチを務めていた森清之と出会う。国家資格取得後は訪問マッサージを主な生業としながら、上智大学女子ラクロス部のトレーナーとなり、一時は整骨院勤務を兼任して、24歳で東大アメフト部のヘッドアスレチックトレーナーにならないかと誘われた。その誘いに応え、ウォリアーズにフルタイムで関わるようになったのが、2017年の春からだ。

 中学時代はテニス部の顧問がテーピングを巻く姿に憧れた西田だったが、自分がアスレチックトレーナーとなり、場数を踏んでいくにつれて、こう考えるようになっていた。

「テープを巻くことには良い面もあれば、悪い面ももちろんあって、私は最低限にとどめるべきだと思っています。まずはフィジカルのファンダメンタルをトレーニングする。それからテープがあるべきではないか。テープを用いてフィジカルのファンダメンタルを補おうとするのは、順序が違っているのではないかと思います」

 東大アメフト部に関わりだして、西田が最初に驚いたのは、テープ消費量の極端な多さにだ。しかも、そのほとんどはファンクショナルテーピングという種類の、西田にはあまり馴染みのないテープだった。ファンクショナルテーピングは関節の痛めている箇所か、違和感のある箇所をそれで固定して、固定しながらも関節本来の機能をできるだけ引き出すためのテープとされる。

 フィジカルのファンダメンタルをまずは鍛えるべきで、テーピングは使わないに越したことはない。これが森や西田の考え方だ。別の考え方に、ファンクショナルテーピングを巻きながらでも、フィジカルのファンダメンタルは鍛えられるとするものもある。どちらの考え方もフィジカルのファンダメンタルは必要としており、この違いはいわば流派の違いとも言える。ところが、ウォリアーズの学生トレーナーたちの考え方は、根本から違っていた。ファンクショナルテーピングは絶対に外せない。なぜなら東大生は体力面で劣っているからだ。このロジックを大前提としているからこそ、選手の多くがファンクショナルテーピングを巻いており、消費量もこれだけ増えていた。

 根本の考えがここまで違っていると、溝も深くなる。まずはその溝を埋めていくための大人からの働き掛けがあり、学生たちと話し合うための場が設けられ、監督の三沢英生も説得に乗り出した。

「新しいやり方を、それまでのやり方に融合させていけばいい話じゃん。柔軟にやっていくのが、君たちの成長に繋がるぞ」

 三沢のその話を聞いても、主張を変えようとしなかったのが最上級生のトレーナーたちだった。話し合いは長期化した。長期化するだけの理由があった。

 実を言えば西田を迎える前のウォリアーズにも、プロのトレーナーが一定以上の頻度で関与していた時代がある。しかし、やがて大人が練習に常駐しない時代を迎え、17年の4年生はプロのトレーナーがいた時代をまったく知らず、それゆえ学生トレーナーが怪我の診断をし、練習復帰の判断もするようになっていた。

 学生トレーナーをまとめる4年生たちは、どんな説得にも折れなかった。三沢が監督でありながら、押し切れなかったのは、話し合いが長期化する理由や、その背後にある事情を知っていたからだ。

「『柔軟に』って言うほうは簡単ですけど、言われるほうにしてみたらねぇ……」

 学生トレーナーの中にも違いはあった。3年生以下には来年以降を見越して、早く切り替えられる時間的な余裕がある。しかし、4年生にとってはもう最後の1年で、西田を迎えてからだと実質8~9カ月しか残されていなかった。

「大改革の1年目でしたから、いろんなところにひずみが生まれてしまうのは当然で。その被害を4年生全員が受けていました。なかでもいちばんの被害者は、明確に4年生のトレーナーたちでしたよね」

 三沢は呟くと、神妙な表情のまま続けた。

「ただ、柔軟性には欠けていたかな……。私は言うわけです。何がいちばんいいかを考えようぜって。グローバルスタンダードはこうで、ウォリアーズは今こっち。いきなりこれはできないけど、こうなるためには次にどんなステップを踏めばいいか考えようって。川原田はそれをやってくれましたし、遠藤たち選手も100%じゃないけど、やっていこうとしてくれていた。その意味で、いったん受け入れてみようという姿勢はなかったですね」

 三沢の回顧はこう続く。

「その頃の練習には、常駐している西田とは別のトレーナーもちょいちょい来てくれていたり、チームドクターも週に2回ほどは来てくれていたり、大人が常にいてくれるようになっていたので、学生トレーナーが判断しなければならないことは、もう何もないわけです。練習中に選手が頭部を打撲したとしても、それが脳震盪かどうかを判断するのは君たちの役目じゃないから。怪我をした選手の情報を集めたり、それを大人に伝えたり、サポートするのが君たちの仕事だよ。それは明確に最初から伝えていましたが……」

 返ってきたのは反発だった。

「私たちは何のために居るんですか?」

「いや、居る意味めちゃくちゃあるじゃん。君たちには君たちの知見があるわけだから、私たちはこう思いますって、大人たちにどんどん言えばいいじゃん。ただ、最終判断は大人に任せたいわけ。仮に君たちが判断を間違えたとして、その責任を君たちには負わせたくないからさぁ」

「じゃあ何のためにトレーナーとしての勉強をしてきたんですか?」

 水掛け論が延々続く。

 西田も説得を続けてきた。しかし、折り合う気配のないまま、8月3日からの夏合宿が始まった。夏合宿が終われば、ヘッドコーチの森だけでなく、チーム全体が9月に始まる公式戦の準備に力を入れる。もう話し合いだ、なんだとは言っていられない。そして迎えた夏合宿の最終日に、それは起きた。

 普段の練習とは違い、数日続けて寝食を共にする濃密な時間がそうさせたのか、ずっと張り詰めていたトレーナーチームが空中分解寸前に陥ったのだ。合宿の出来に納得できず、怒声が飛び、叱責された後輩が泣き出し……。その様子を近くで見ていた西田は、もう観念するしかなかった。トレーナーチームを維持するためには、これ以上の衝突は回避するしかない。だとすれば、こちらが折れるしかないだろう。

「ここから先は、やりたいようにやらせてあげたほうがいいと思いました」

 ヘッドコーチの森はアメフト云々以前に、部員たちのマインドセットをいかに変えていくかに心を砕いてきた。

「今までの延長線上では、日本一という目標は達成できない。ただ、僕自身はいつか達成できると思っているので、思っているからこそ、当面は多少マイナスになったとしても、やっぱりマインドセットを変えていかなきゃいけないと」

 マインドセットとは、その人の言動を無意識のうちに縛り付けている“思い癖の束(たば)”だ。

「春シーズンの間はことあるごとに言いました。『今まではこうだった』というのを判断基準にするなよと。練習中も言ってましたし、マネージャーやトレーナーにも言っていました」

 しかし、マインドセットは無意識の束――条件反射に近い思い癖の束――なので、簡単には変わらない。

「川原田はさ、主務だろ。チームの方針に従わない部員に、何も言わないって、どういうつもりだよ」

 主務の川原田美雪を信頼しているからこそ、三沢はあえて詰め寄った。川原田自身、身に覚えがないわけではない。4年生のトレーナーはみな同期で、「それまでの3年間を否定されたと、すごく苦しんでいる」気持ちがわからないでもなかったからだ。それに「彼女たちを信頼している選手もいる」という状況認識が、川原田を及び腰にもさせていた。

 森はこの件に関してではなかったが、規律の意味を次のように語っている。

「そうしようといったん決めたら、きちんと守るのが規律の本質だと思います。その規律が良いも悪いもなく、守るかどうかです。アメリカンフットボールでなぜ規律を守るのが大事かと言うと、ひとつにはコンタクトを伴うスポーツなので大きな怪我のリスクをはらんでいるからです」

 森は誤解を避けるために、こう付け加えた。

「思考停止は良くない。だけど規律は守れ。一見すると矛盾しているようですが、この両方をうまくやっていけるかどうかです」

 川原田が同期のトレーナーたちと話をしたのは、夏合宿の前だったか、後だったか、記憶は定かでない。いずれにしても思い切って、ぶつけてみた。あなたたちが正しいと信じていることは、狭い世界の中では正しいことなのかもしれない。でも、これから目指していくもっと大きい世界、未来を切り拓くっていう大きいゴールに向けて、それってどうしてもこだわらなきゃいけない部分なのかな。今、この条件のなかでベストを目指すことはできないの?

 夏合宿後のトレーナーチームに結束力を求めるのは難しくなっていく。なぜなら3年生以下はすでに未来を見据えており、ある種のダブルスタンダードに陥っていくからだ。

 トレーナーチームの足並みは揃わず、4年生全体も一枚岩にはなれないまま、ウォリアーズは秋の公式戦を迎えてしまう。待っていたのは、意外な展開だった。

※文中敬称略。

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Written by

株式会社EDIMASS 
手嶋 真彦Masahiko TEJIMA

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