東大アメフト部の練習は、基本的には夕方17時から19時頃までの2時間ほどでスケジューリングされている。アフターと呼ばれる自主練をそのまま続けるなら、終わりはたいてい20時頃になる。練習後のミーティングはあえてしない。理由のひとつは通学事情にあると、ヘッドコーチの森清之は打ち明ける。
「片道1時間ぐらい、通学にかけている部員が、けっこういますから」
練習が20時に終わってからミーティングを始めると、遠方に暮らす部員の帰宅は22時、23時と遅くなり、食事の時間もずれ込んでいく。
ただし、練習後にミーティングをしない理由は、食事の時間がずれ込むデメリットを避けるためだけではない。昔はミーティングを通して対面で交換していた情報を、今はオンラインではるかに容易に共有できるようになっているからだ。
「クラウド上で同じ映像を共有して、視聴するのは各自、移動中の電車の中でも、帰宅後食事をしながらでも、寝る前のベッドでも、翌日の昼休みに飯を食いながらでも、自由です」
1980年代に森が京都大学アメフト部の選手だった頃は、撮影した試合や練習のビデオを視聴するには、ミーティングルームに行き、そこに設置されているビデオデッキの前にいなければならなかった。パソコンはまだ一般家庭に普及しておらず、スマホは存在すらしていない。しかし、それももう昔の話だ。ウォリアーズの部員は全員自分用のスマホやタブレットを持っている。好きな場所で、好きな時に、共有すべき情報を共有できる。
情報共有のそうした効率化を可能にしているのが、「Hudl(ハドル)」という映像分析・共有ツールだ。ウォリアーズがそのツールを導入したのは、川原田美雪の記憶では彼女が1年生から2年生にかけての2014~15年頃だった。試合や練習の映像を撮影・編集するのは川原田たちマネージャーの任務だが、2時間半ほど撮影した映像なら、Hudlの導入前は5時間かかっていた編集作業が、導入後は10分ほどで終わるようになる。まさしく画期的な技術革新だ。
「練習が終わる頃には、その日の映像が編集されて、クラウドに上がっているわけですからね」(森)
三沢英生と森が到来した2017年には、チャットアプリの「Slack(スラック)」も導入し、コーチや部員がその日の練習の反省点をそのアプリに書き込めば、瞬時に全員で共有できるようにもなった。Hudlを通して映像を共有し、Slackを介して意見を交換すれば、練習後のミーティングの代わりにできる。
森にしてみれば隔世の感がある。京大の選手時代は寝ている以外の時間は同期と四六時中一緒にいて、アメフトをしているか、アメフトの話をしているか、とくに4年生の1年間はそんな日々を過ごしていたからだ。
「こんなにミーティングの量が少なくて大丈夫なのか。最初はそう思っていましたが、意外にちゃんとやれています。時間効率や生産性が上がっているので、勉強もしっかりできていますし、みんな頑張っていると思います」
森が確信を持ってそう言えるようになったのは、時間を経てからだ。ヘッドコーチ就任1年目、2017年の夏を迎えた頃は、まだ半信半疑だった。これだけ便利になった世の中で、運動部にわざわざ入ってくる学生の気質も変わってしまったのかもしれないと。
マネージャーで主務の川原田は、なぜウォリアーズに入部したのだろうか。大きな理由はマネージャーの先輩、森安芽衣に憧れの気持ちを抱いたからだが、それだけではない。疑問のような興味を持ったからでもあった。
そもそもマネージャーは試合に出るわけではない。同じスタッフでも、SA(スチューデントアシスタント)は対戦相手の過去の試合を分析し、それを元に作戦を立て、試合に向けての練習でも欠かせない役割を担っている。トレーナーは選手の怪我を予防するだけでなく、怪我をしてしまった選手のケアを担当し、強い信頼関係すら築いている。同じ部員同士なのに、マネージャーが選手と直接関わる機会は限られている。
多くの選手は、マネージャーが練習や試合以外の時間に何をしているか、よくわかっていないのではないか。川原田はそう感じていた。練習や試合での給水やビデオ撮影も雑用に括られている。森安から入部を誘われていた頃の川原田自身が、マネージャーなんて、と否定的な見方をしていた。
<それなのに、なんであんなにキラキラしているの?>
森安に抱いたこの素朴な疑問を、自分自身で解いてみたいという好奇心にも駆られて、川原田は2014年の春にウォリアーズに入部した。
やがてその年の秋になる。ウォリアーズは関東1部下位のBIG8を下から3番目の成績で終え、2部リーグの上位チームとの入れ替え戦を戦わなければならなくなった。
迎えた12月14日。大事なその入れ替え戦でも、ウォリアーズは対戦相手に7点を先制される。第2クオーターで逆転して、結局27-7で逃げ切りBIG8残留を決めていたが、1年生の川原田は内心ではがっかりしていた。
<けっこう酷い成績じゃん>
入れ替え戦の後、アメフト部を引退する森安に、川原田は泣きながら約束する。その時は本気だった。
「先輩の夢、かならず私が、実現してみせます」
感極まって、そう宣言したものの、シーズンオフに入り、いろいろ考えているうちに、まったく別の思いが強くなる。
<選手とスタッフは一緒? ぜんぜん一緒じゃなかったじゃん>
<結局、私、雑用しかしてなかったし>
<あの森安さんだって無理だったでしょ。私になんか絶対無理じゃん>
もう、辞めよう。部活を辞める。そう決めて、マネージャーの先輩に意思を伝えたのが2015年1月の終わりだった。急に辞めるのは川原田の責任感が許さず、3月までは練習に参加し、4月の新歓期は丸々休む。休んでいる間に、心は揺れた。川原田を気に掛けてくれる先輩たちと話をして、世界が少し広がっていたからでもあった。それまではマネージャーの領分だけで、モヤモヤをため込んでいた。
当時の副将、寒竹真也にはこう言われた。
「誰にでもできることを、誰よりもやったら、それって当たり前じゃないよね」
川原田はハッとした。森安と出会い、ウォリアーズを日本一にしてみせる、主務になると決心しながら、誰にでもできることなんか私はやらないと、心の中では拒んでいたからだ。秋葉原のとんかつ屋で、その店に連れてきてくれた寒竹の言葉は、川原田の心に響いていた。
「誰かが辞めそうになると、寒竹さんからご飯に誘われて、みんな戻ってくるという(笑)。すっごい変わった人なんです。すっごい明るくて、いい意味でちょっと馬鹿で、でもアメフトにすごく真摯で、ずっと笑顔で」
寒竹の話を聞きながら、川原田は思った。誰にでもできることを、誰よりもやって、信頼を得て、それが新しい何かに繋がって……。謙虚だから、このサイクルができるのだとすれば、これまでの自分にいちばん足りなかったのは謙虚さだ。心の中でそう認めるしかなかった。
「美雪ちゃんは、きっと“選手脳”なんだろうね。自分でできなくて悔しい。そういう気持ちもあるんだろうな。でも、それってこのチームにすごくいいことだと思うよ」
やっぱり部活、面白いかもしれない。そう思いながらも、川原田の気持ちは徐々に退部へと傾いていく。目を疑うようなシーンを目撃したのは、そんなある日のことだった。
ウォリアーズが2015年5月9日に国士舘大学と戦った春のオープン戦を、川原田は関東学生アメリカンフットボール連盟(学連)の学生執行部員として観戦しなければならなかった。学連の学生執行部は川原田のような各大学のアメフト部員で構成されていて、試合運営にも携わる。川原田はこの日たまたま、東大の試合を運営する側に回っていた。
試合は残り4秒となったところで時計が止まる。28対27でウォリアーズが1点をリードしていたが、攻撃権は国士舘大にあり、3ヤードからのフィールドゴール(FG)を蹴ろうとしていた。3ヤードからのFGは「安全圏からのFG」とも言われるように、ほぼ間違いなく決まる距離だ。このFGが決まれば国士舘大が3点を追加し、ウォリアーズは28対30と逆転される。残り4秒という時間を考慮に入れると、ウォリアーズの再逆転はほぼ不可能で、川原田ももうこれは絶対無理だと、そのプレーを直視できなかった。
聞こえてきたのはパンという乾いた音だった。ほぼ同時に場内がどっと沸く。川原田は横目でフィールド上を見た。アメフトの楕円球が予想していない場所に転がっていた。え? と驚き、視線を動かすと、東大の選手たちが小躍りしている。守備側のウォリアーズがまさかのブロックを決めたのだ。
平賀慎之介は、その瞬間をよく覚えている。2015年の春に入学したばかりの平賀は、当時は「アナライジングスタッフ」と呼ばれていたSAのまだ新米だった。
「試合の肝となるああいうところでアサイン(作戦)がはまって、勝敗を決定づけるというのは、自分たちSAにとっては夢のひとつというか。もちろんやるのは選手ではありますが、試合を勝たせる手伝いができたのかもしれないと、嬉しい気持ちになります。言ってしまえば僕らは裏方なので、あたかも一緒にフィールドで戦っているような気持ちになれるんだって、それが入部1年目の最初にわかったのは、自分にとって大きかったと思います」
一緒にフィールドで戦っているような――。
試合の記録を取っていた川原田は驚きで呆然としながら、胸の奥が熱くなってくるのを感じていた。こんなことも起こるんだ――。
<どうせマネージャーなんか、って私、いじけていたけど、変えられるじゃん>
<やろうと思えば、自分で変えられる>
<スタッフなんか何も変えられないって諦めかけていたけど、もしかしたら、なんかできるのかも>
間もなく川原田はウォリアーズに復帰する。復帰後はもう辞めようとは思わなかった。いや、思えなかった。やらなければならないマネージャーの仕事が増えて、もう立ち止まってはいられなくなるからだ。
※文中敬称略。