「弱い。だから挑むんだ」 東大アメフト部 大学日本一への挑戦 第15話/全66話(予定)

 川原田(かわらだ)美雪がスマホの着信履歴に気づいたのは、2限の授業が終わった後だった。折り返し電話をかけると、三沢英生に頼まれた。

「大学の近くに部室を借りたいんだよねぇ。悪いけど、川原田が探してくれる?」

 2017年の夏も、もう7月の半ばに近づいていた。川原田は東京大学工学部の4年生で、ウォリアーズでは主務を務めている。

 アメフト部は部員が多い。選手はオフェンスとディフェンスで顔ぶれがそっくり入れ替わるツープラトーンが基本なので、頭数もそのぶん多くなる。17年の部員は全部で183人の大所帯となっていた。内訳は2年生以上の選手が76人でスタッフが47人。1年生は選手45人でスタッフ15人。スタッフは、東大の場合はマネージャー、トレーナー、スチューデントアシスタント(SA)の3部門に分かれていて、川原田は17人いるマネージャーのひとりであり、主務でもあった。

 主務が何をしているのか、当時は部内でもあまりよく知られていなかった。主将がチームを代表し、選手を代表しているのと同様に、主務はスタッフを代表している幹部(主将、副将、主務で構成)のひとりだ。たしかにそうなのだが、川原田自身は「主将・主務」と称される横並びの関係に疑問を持っていた。

「チームの顔はやっぱり主将だし、アメフトのプレーでも、日頃の振る舞いでも、常に誰かに見られているという重責が必ずあります。背負っているものの重さが、主務とはぜんぜん違います」

 たしかに、川原田の言う通りなのかもしれない。主将は試合開始3分前と定められている定刻を迎えると、チームを代表して数名の副将たちとフィールドの中央まで出て行き、先攻を決めるコイントスに臨まなければならない。試合が終われば、スタンドの前にズラリと並んだ大所帯の部員たちを代表して、応援に駆け付けてくれた観客に声を振り絞って挨拶するという役目もある。試合の前や途中や後に、アメフトの世界でハドルと呼ばれる円陣を組む時も、その中心には主将がいる。脚光を浴びる主将と比べれば、たしかに主務は目立たない。しかし、目立っていないというだけで、川原田はまさしく八面六臂の働きを続けていた。

 三沢が監督に就任し、森清之を三顧の礼でヘッドコーチに招聘して始まったウォリアーズの大改革は、1年目の変化がとくに激しいものとなる。にもかかわらず、裏方のワークホースが十分とは言い難かった。マネージャー、トレーナー、SAはそれぞれ任務を抱えていて、新規案件のほとんどは主務の川原田に託された。

 2限の授業の後、折り返しかけた電話で三沢に頼まれたのも、数多くの新規案件のひとつだった。本郷キャンパス内の部室だけでは手狭になっているので、近くに新しい部室を借りたいと新監督は言っていた。

「いつまでですか?」

 質問した川原田の耳に聞こえてきたのは「なる早!」と返す三沢の明るい声だった。できれば夏合宿前までには借りておきたいと言う。時間がなかった。

「夏合宿は8月3日からで、大学院に進むための私の院試が8月1日。マジかぁと思って(笑)」

 川原田はその足で本郷キャンパス近くの不動産会社を訪れると、部室として使いやすそうな希望の条件を伝え、それから毎日のように連絡を取り合った。良さそうな物件がありますと連絡がくれば、昼休みなども利用して内見に行く。これはという物件があれば「今から来てください」と森に連絡してチェックしてもらう。家賃、部屋の広さ、普段練習している御殿下グラウンド(本郷キャンパス内)までの距離などから、森とともに物件の良し悪しを比較検討し、三沢との電話から1カ月ほどで契約まで漕ぎ着けた。

 東大入学までアメフトとは無縁の人生を過ごしてきた川原田が、ウォリアーズへの入部を決めた理由は、勧誘してくれた先輩への憧れが大きかった。2014年の春、入学式を終えたばかりのその日、テント列と呼ばれる部活動やサークルからの勧誘スペースで、川原田はアメフト部の部員に呼び止められる。アメフト部のテントの中でしばらく話を聞いていると、奥のほうから先輩らしき女性が現れた。その女性はキットカットをかじりながら登場すると、川原田と軽い世間話をしていた途中で、急に夢を語り出す。その場面を、川原田は鮮明に覚えている。

「私、本当に日本一になりたいと思っていてさぁ」

 川原田にそう言ったのは、2014年度の主務、森安芽衣だった。森安は熱弁を振るうわけではなく、さらりと言った。しかし、本気で言っていることは、初対面の川原田にも伝わってきた。

 その日まで、川原田とアメフトの接点は、なにひとつなかった。青森県で高校まで過ごし、そもそも運動部に関わったことも、関わろうと思ったこともない。

「運動神経が本当に鈍くて、自転車にも乗れませんでした。足は遅いし、球技もなんにもできなくて」

 部活動は小学校の合唱部、中学校の演劇部を経て、高校ではダンス部に入る。

「ダンスをやって、少しだけマシになった程度です(笑)」

 森安がアメフト部で務めていると言うマネージャーにも興味はなかった。洗濯ばかりしているお手伝いさんというイメージしかなかったからだ。それでも森安の話には興味を惹かれた。

「私もさぁ、選手と同じように日本一を目指してるんだ」

「スポーツで東大生が日本一になるって、面白くない?」

 軽やかに話す森安に、川原田は自分にはない何かを感じていた。目の前にいる先輩は、キラキラ輝いていた。

 それでもなお入部を躊躇していた川原田は、ある日、森安にこう言われる。もしかすると、あの言葉が決め手だったのかもしれない。

「どんな部活に入りたいかじゃなくて、どんな人間に4年後なっていたいか考えて、選んでみたら?」

 川原田はウォリアーズの一員となり、その時、心の中で決めたのだ。私も4年になったら、主務になる――。

 それから時は流れてゆき、2017年度の主務となった川原田は、アメフト部の大変革に必要な新規案件のほとんどを託されていた。本郷キャンパス内にある部室の改装では川原田が部を代表して改装工事を手掛ける業者たちとの窓口となり、大学の担当当局との交渉に臨みもした。なぜ部室を改装する必要があるのか、どのような工事になるのかなど、説明や許可が必要だったのだ。

 改装の話は2月頃から持ち上がり、工事は4月まで続くことになるのだが、川原田には悠長に構えていられない理由があった。ヘッドコーチに就任した森が、部員たちのたまり場にもできる、まともな部室を必要としていたからだ。

 森が学生チームのコーチを務めるのは、京都大学のアメフト部を離れて以来で、およそ18年ぶりだった。森には子供が3人いて、ウォリアーズの部員たちは娘や息子たちと世代が近い。それでも彼らが何を考えているか、最近の学生気質や東大生気質など、理解しておくべきことは少なくない。

 森は自分自身が新天地に早く慣れるためにも、学生たちと接する時間をできるだけ長くするためにも、常駐できる部室を必要としていた。森が常駐できて、部員たちと同じ時間を過ごせる部室を、だ。学生たちのことをよく知らないままでは、思うようには先へと進めない。

 森の古巣である京大アメフト部は、1992年に竣工した立派なクラブハウスを持っている。寄付金で建設されたそのクラブハウスの食堂や風呂場やトレーニングルームで学生たちと過ごしていれば、コーチの森にもなんとなく部員一人ひとりのことが理解できた。ところが東大アメフト部には、そういう大切な空間がどこにもない。本郷キャンパス内の部室は乱雑に荒れていて、部員全員が集まるミーティングなど到底できず、長時間いられるような場所でもなくなっていた。

 部室が改装される4月の下旬まで、森は練習がない時でも御殿下グラウンドにいるしかなかった。居場所がどこにもなかったからだ。

 部室の改装工事が終わったのは、そろそろゴールデンウィークを迎えようとしていた頃だった。ただ綺麗になったというだけでなく、スペースを有効活用できるようにデザインされた部室は、ロッカールームとなり、ミーティングルームとなり、ヘッドコーチの森が常駐する場所となり、部員たちが集まるたまり場にもなっていく。川原田が部室に顔を出せば、必ずと言っていいほど、窓際の決まった場所に森がいた。

 窓際の決まったその場所で、森は「空気のような」存在になろうとしていた。部員は180人以上いる。彼らにしてみればヘッドコーチは1人だけでも、ヘッドコーチの森からすると向き合い、理解すべき相手が180人以上いるということだ。

「いくら上限関係の少ないフラットな組織にしていくといったって、親子ほど年齢が違っていたら、それは僕の前では学生たちは身構えますよ。でも、ずうっとここにいたら、少しずつ空気のようになっていくと思うんです。そうなれば学生たちも、割と普段通りの表情で、割と普段通りに喋れるようになっていくだろうと」

 部室がリニューアルされる頃には、春のオープン戦も始まった。本番のBIG8開幕まで残り4カ月ほどしかない。時間は限られている。しかし、この大変革は、ある種の歪(ひず)みをもたらしていた。歪みによって生まれた小さな亀裂が、すでに部内に走っていたのだ。

※文中敬称略。第16話は12月3日配信予定。

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Written by

株式会社EDIMASS 
手嶋 真彦Masahiko TEJIMA

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