「弱い。だから挑むんだ」 東大アメフト部 大学日本一への挑戦 第14話/全66話(予定)

 新ヘッドコーチに森清之を迎えた2017年のウォリアーズは、例年通り1月下旬に練習を始め、例年通り社会人コーチや、新4年生の幹部たち、さらにはパートリーダーたちが練習を主導した。それまで東大アメフト部と関わりらしい関わりのなかった森は、この部がどのように練習してきたか、内容もペースもわからない。そこで当面は従来のやり方を踏襲し、森は観察に徹しながら、ただちに修正できる部分のアドバイスだけするようにした。

 練習初日から、森は気がついていた。これは、根性練と言えるほどの凄まじさではないにせよ、典型的な体育会系の練習だ。各自が必死に一生懸命やっていて、練習に取り組む姿勢はとても良い。しかし、姿勢が良いというだけで、練習自体のレベルは高くない。

 何より見過ごせないのは、具体論の乏しさだった。コーチや幹部やパートリーダーたちに言われた通りの練習をただこなしているだけで、そのメニューに取り組む意味も、どうすれば上達していけるかも、考えているわけではない。自分の現状を把握できておらず、どこを伸ばしていきたいか、そのための課題はどこにあるか、見つけ出そうとしていない。森は、日本体育大学に敗れた2016年の入れ替え戦を思い出し、少し違った角度から感心していた。

<この練習で、よくあれだけの力を維持していたな。ある意味ではすごい>

 目の前の東大生たちは、合理的でも科学的でもない練習を、ただ闇雲に頑張っている。森がよく知る京都大学のアメフト部にも、たしかに精神論は存在していたが、眼前の東大アメフト部のそれとは明らかに違う。具体的な練習を、すなわち上達して、試合に勝つための練習をとことんやり抜き、その上で最後の支えとなるのが「俺たちはこれだけ練習をやってきた」という精神論だったのだ。

 武道の世界でよく言われる「心技体」という三つの要素をアメフトの世界に当てはめてみると、森は「体技心」の順序ではないかと考えるようになっていた。強い身体をまず作る。簡単には壊れないフィジカルがあるから、心置きなくスキルを磨いていける。強い身体と巧みな技を備えているから、何事にも動じない心が生まれてくる。

 ウォリアーズの練習を観察していて、森が看過できなかったのは、技術レベルの低さ以上に精神論の強さだった。

「声が小さい! ぜんぜん出てない! 元気がない! そんな怒号がよく飛んでいるわけです。もちろん元気はあったほうがいい。活気があるのもいいんです。でも、本当はその前にやっておかなければならないことが、いっぱいあるわけです」

 こういう練習をしていたら、しんどいな。率直な森の感想はそれだった。東大の取り柄は頭脳であるはずなのに、肝心の頭を働かせていないではないか。

 前例に縛られすぎている。もっと言えば、思考停止に陥っている。すぐに修正できるところに、森がアドバイスしてみても、今まではこうしてきた、先輩にこう言われている。返ってくるのは、そういう反応ばかりなのだ。

「せっかく頭がいいのに、そこをアドバンテージにせず、どうやったら勝てるのか。そういう疑問を持ちました」

 森は部員たちに伝える。この練習のままではTOP8に昇格するのも難しい。運よく昇格できたとしても、優勝を争うなど不可能だ。たとえ血ヘドを吐くまで練習しても、無理だろう。森は当時を振り返り、こう付け加えた。

「ドラスティックに変えていかなきゃね。ショック療法じゃないですけど」

 たとえ血ヘドを吐くまで練習しても、TOP8で優勝を争うのは無理だろう。森にそう言われても、ウォリアーズの部員たちは、あまりピンときていない様子だった。もしかすると反感を覚えている部員もいたかもしれない。

<ヘッドコーチになったばかりで、よく知りもしないくせに>

<少なくとも俺は考えている>

<私だって考えている>

<これ以上、どう考えればいいというのか>

 どこかから、そんな学生たちの心の声が聞こえてくる。

 たしかに考えてはいるのかもしれない。とはいえ、それは前例踏襲を前提として、狭い世界の中で考えているだけだ。井の中の蛙、大海を知らず。

「全ての思考が、去年はこうしていた、一昨年はこうだった、誰それさんの代はああだった、に終始しているわけです。もうありとあらゆるところで、練習の内容も、進め方も、技術的にも、スタッフの仕事も、過去に教えてもらったことが全て。物の見方は一面的で、見ているところは枝葉末節ばかりです」

 森にはこう見える。知らず知らずのうちに壁を作り、壁によって閉ざされた狭い世界の中だと自覚せず、必死に知恵を絞っている。

「よく言われるガラパゴス化です」

 ガラパゴス化とは言うまでもなく、日本で独自の進化を遂げながら、世界標準とはかけ離れた仕様がボトルネックとなり、スマホに駆逐されたガラパゴスケータイにちなんで名付けられた現象だ。東大アメフト部の場合は独自の進化すら遂げぬまま、学生スポーツにありがちなガラパゴス化が進んでいた。この閉ざされた世界の壁をどうやって壊していくか。ウォリアーズの改革は、そこから始まった。

「お前、ホントに考えてるか?」

 それが森の口癖のようになる。

「そもそも、なんで、それをやってるの?」

「それって、別の立場で見たらおかしくないか?」

「お前らはそれでよくても、下級生が4年生になった時、このままでいいの?」

 そんなふうに問い掛けつづけなければならなかった。

 主将の遠藤翔は最初にガラパゴス化を指摘された場面を覚えている。副将や主務という学生の幹部たちが一緒だった。森がヘッドコーチになってから、すでに2~3カ月は経っていたはずだ。

「このままだと強くなれないと言われました。無意識のうちに伝統を守ろうとしすぎているのではないか。そこのメンタリティを外していかない限り、強くはなれないと」

 今の延長線上では、目標は達成できない。森はあえて強めの口調でそう伝えた。思考停止に伴い、取り組みが主体的でなくなるという副作用も生じている。

「仮に練習メニューを僕が全部作ったとしてても、部員一人ひとりが意図を理解して、自分なりに消化していれば、その取り組みは主体的です」

 主体的だから工夫が生まれる。

<自分はここが苦手だから、他の部員の2割増しでやっておこう>

<この動作をする時は、ここに気を付けよう>

 日々の状態は一人ひとり違っているので、次のような判断もあっていい。

<今日は身体の調子が万全ではない。このメニューはあえて見学しておこう>

 ヘッドコーチに就任した当初の森は、練習の内容や進め方を学生たちに任せているが、到底主体的とは言い難かった。この思考停止を根本から変えていかない限り、甲子園ボウルはおろかTOP8での優勝もありえない。

 思考停止を助長しているメンタリティも見えてきた。ひとつはプライドだ。東大生ゆえのプライドの高さ。森は言う。

「受験を頑張り、東大に合格した学生たちです。それまでの努力に、程度の差はあれ自負を持っているものです」

 プライドには良い面もあるが、弊害もある。森は学生たちの鼻っ柱を折っておく必要があると判断し、割と強い言い方でそのあたりを指摘した。

 保守的な傾向も、思考を妨げている。そう指摘された主将の遠藤には、思い当たる節があった。

「たとえ間違った技術であっても、それを正していこうとすると、その過程でいったん下手になってしまいます。曲がりなりにも積み上げてきたものを壊すことになるので、拒否反応が強かったのかもしれません」

 練習の内容や進め方を変えて、結果が悪くなってしまったら……。その恐怖に負けて、リスクを避ける。先を読める東大生の頭の良さが、改善の邪魔をしている嫌いもあった。

 できると思えば、本気になる。無理だと判断すれば、頑張れない。そんな傾向が東大生にはあるのかもしれないと、遠藤も思う。

 アメフトでも同じだ。自分の知っている先輩が上手くなったメニューだからと、実例によって先を見越せると一生懸命になれる。ところが部内初のメニューには、いくら良さそうだと感じても、頭で考えて及び腰になってしまう。秀才ならではのそうした短所を、森は早くから見て取っていた。

 ただし、この欠点は裏を返せば長所になるコインでもある。確実な効果を見越せる練習に、東大生はとても熱心に、粘り強く、コツコツ取り組めるのだ。コインの裏側のこの長所は、身体を大きくしていくためのウエイトトレーニングや食事で物を言う。科学的な裏付けをしっかり伝えれば、東大生の継続力はさらに高くなる。森は言う。

「明確に受験勉強と同じセンスだと思います。どう勉強を進めていけばいいか、ある程度の型がすでにできている。それを参考にしながらコツコツ勉強を積み上げてきたから、東大に合格しているわけです。地道な努力ができなければ、入試でふるいにかけられています」

 森自身、恩師の水野彌一に、しょっちゅう言われていた。

「だから京大生は馬鹿なんだ」

「確信なんか持てなくたって、やってみろ」

 水野さんみたいに、俺も口酸っぱく言うしかない。森は覚悟を決めた。初めて甲子園ボウルを制するまでに、あの水野でさえ、長い時間を要しているのだから。

※文中敬称略。

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Written by

株式会社EDIMASS 
手嶋 真彦Masahiko TEJIMA

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