あれ? イメージとぜんぜん違う。
東京大学アメフト部で2017年度の主将を務める遠藤翔は、心の中で首を傾げていた。
新ヘッドコーチに就任した森清之の指導は、どちらかと言えばスパルタ教育寄りだと想像していたからだ。これから春になって授業が始まれば、練習を優先しろとけしかけられるのではないか。日々の練習では、極限まで追い込まれるに違いない。
「昔の京大でアメフトをやっていた方ですから」
昔のという但し書き付きではあったが、遠藤は伝え聞く話から、京都大学アメフト部に猛練習に明け暮れて強くなったという印象を持っていた。
しかし、森の指導の下、実際に東大アメフト部の練習が始まると、どれもこれも勝手な思い込みにすぎなかったと遠藤は思い知る。
森はこう言っている。練習を休むこと自体が悪やない。授業に出たけりゃ出て、どこかで埋め合わせをすればエエ。留年するのは良いとも、悪いとも思わん。自分で考えて選ぶんや。周りに流されてやるのはアカン。自分で出した結論自体に、善も悪もないんやぞ――。
やはり、イメージとはぜんぜん違う。むしろスパルタ教育寄りだったのは、それまでの東大アメフト部のほうではなかったか。授業のために――とりわけ必修ではない授業のために――アメフト部の練習を休むなんて、ありえないという無言の圧力を、遠藤は感じ取ってきた。大学4年間はアメフトだけに打ち込むべきだ。そのためなら留年もやむをえない。部内にはそんな空気も流れていた。
この前年、2016年度のウォリアーズはBIG8で7戦全勝の好成績を収め、12月17日の入れ替え戦に出場する権利を手に入れた。対戦相手はTOP8を7戦全敗の最下位で終えた日本体育大学だ。
TOP8で優勝できれば関東代表となり、続く東日本代表校決定戦に勝利すれば、甲子園ボウルへの道が開ける。とはいえそれも翌年以降の話だ。まずは日体大との入れ替え戦に勝ち、TOP8に昇格しなければ、大学日本一は遠いままなのだ。
すでに次期ヘッドコーチ就任が決まっていた森は、この入れ替え戦をスタンドからじっくり観戦している。当時のウォリアーズの試合をきちんと観るのは、その日が初めてだった。
<意外に、ちゃんとやっている>
森は少し驚きながらも、大学日本一という大きな目標に照らしてみると、やはり厳しい評価を下さざるをえなかった。
「TOP8で優勝争いができるようになるまでに、それなりに時間がかかると思いました。仮にこの入れ替え戦に勝って、TOP8に昇格できたとしても、あらゆる面で話にならない、と」
試合は第1クオーターのタッチダウンで7点のリードを相手に許し、第2クオーターに東大が3点を返すも、たちまち3点を奪い返され、3-10の7点ビハインドで前半を折り返す。そのままのスコアで迎えた第4クオーターにも東大はタッチダウンを許し、結局3-17というスコアで日体大に敗れている。TOP8には昇格できなかった。
例年、その年の最後の公式戦が終わると4年生は部活動を引退し、3年生が新4年生となる。遠藤はこの時の代替わりで新4年生となり、新主将に選ばれ、学生を代表する立場で新監督の三沢英生と対面し、新ヘッドコーチの森とも対面していた。
遠藤は、真面目な性格を自他ともに認める、折り目正しい好青年だ。子供の頃から、いわゆる優等生だった。学校の先生や親の言いつけをしっかり守り、学業成績は良く、学級委員にも選ばれていた。
<いや、待てよ。本当に自分は優等生だったのか――>
そんな疑いが頭をもたげてきたのは、遠藤が日常的に森と接するようになってからだ。
「自分で考えて、選ぶんや」
「周りに流されて、やるのがアカン」
森に繰り返しそう言われているうちに、ハッとしたのだ。子供の頃から聞き分けのいい、優等生だったのは、親や教師の目を過敏に意識してきたからではなかったか。「普通はこうだ」と言われたら、疑おうともせず、それに従ってきた。例えば学級委員だ。本当にやりたくてやっていたとは言い難い。
<もしかすると大人にとっての優等生にすぎなかったのかもしれない>
森の指導を受けるようになってから、遠藤はそうした自省を繰り返すようになる。そしてどう自省してみても、結論は同じだった。
<自分はこれまで何も考えてこなかった>
ウォリアーズでは主将を務めているが、自認してきた責任感の強さも、もしかすると自発的なものではなかったのかもしれない。
「俺らの目標は、キツい練習をすることやない。頑張ることでもないんやで」
森から投げ掛けられるそうした言葉が、遠藤の思い込みに裂け目を入れたのだ。それまで疑おうともしてこなかった、思い込みの数々に。
たしかに言われてみたら、本当に勝つための練習をしてきただろうか。とりあえず頑張っておけばいいと、それで満足していたのではないか。
「頑張ってる感が欲しいだけなら、わざわざアメフトの練習なんかセンでええ。そのへんを必死に走っておけばエエやんか」
これまでの常識を捨てない限り、どれだけ頑張ろうと限界がある。森にはそう言われていた。その意味を遠藤が実感できたのは、社会人チームとの合同練習を通してだ。
2017年のウォリアーズの練習は、例年通り1月の終わりに始まった。最初はフィジカルトレーニングや、パートごとに分かれてのスキル練習が中心で、2月、3月と徐々に試合ができるように身体を作っていく。
社会人チームとのその合同練習に臨んだのは、4月の終わりだった。Xリーグの強豪IBMビッグブルーが、東京都内文京区本郷に位置する東大の御殿下グラウンドまでわざわざ足を運んでくれた。
IBMの練習メニューは、ごくごく普通のものだった。ウォリアーズとも大差はない。
しかし、遠藤は驚かされていた。同じような練習でも、取り組む姿勢や、突き詰め方が歴然と違っていたからだ。考えている量が、そもそも違う。
遠藤のポジションは「ガード」で、5人が横一列に並ぶオフェンスラインの一部を形成する。ウォリアーズのいつものブロック練習を、IBMのオフェンスラインの選手に見てもらっていた時のことだ。一通り見終わると、IBMの選手はこう言った。
「で、何がしたいの?」
その時、こなしていたのは、遠藤たちオフェンスラインの選手たちが、相手のディフェンスラインの選手たちをブロックして、味方のランニングバックが前に進んでいくための走路を開けるといういつもの練習だ。
「それはわかるさ。でも、どのタイミングで、どれくらい走路を開ければいいのか。そのためにはディフェンスの選手のどこに力を伝えればいいのか。そのためにはどういうステップを踏むべきなのか――」
IBMの選手は質問を重ね、その課題に取り組む意味を確認しようとする。しかし、遠藤たちウォリアーズの選手は、うまく答えられない。その練習を日頃から漫然としてきた証だった。森にもよくこう言われていた。
「大事なのはどんな練習をやるかじゃない。その練習をどこまでやるかだ」
IBMとの合同練習を終えて、遠藤は思い知らされていた。俺たちって、まだこんなレベルだったのか――。
※文中敬称略。